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そして今日も自転車に乗って

私は今日も、自転車に乗って荒川を越える。
いつだって満員電車知らずの自転車通勤組だ。

スポーティーな通勤バイクではない。
いわゆる「ママチャリ」ユーザー。ただのママチャリではない。

「電動アシスト自転車」なのだ。

◎◎◎

通勤路の荒川に架かる全長500メートルほどの橋。
両端の勾配がきつく、自転車は押し歩いて渡るルールだが、サラリーマンや学生たちは鬼の形相で立ちこぎして上っていく。
それを尻目に、私はすいすいと駆け抜ける。文明の勝利だ。

敵は、天候だ。
冬は、毎朝、職場に着く頃には手指が真っ赤に痺れて、事務所のシャッターが開けられない。

台風の日には、橋の上で子ども席のカバーがヨットの帆のように風を受け、ドリフト走行で荒川に落下しかける恐怖も味わった。

◎◎◎

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愛車の価格は子供乗せ仕様で15万円くらい。普通の自転車の数倍だ。
簡単に買える値段ではない。

まだ人力自転車に乗っていた頃、あるママ友さんにこう言われた。

「これ三日で元取れますよ。」

何を言っているのか、よくわからなかった。
一日あたり数万円、お得?そんなこと、あり得る?
ただのマウンティング?

今の私なら、こう言う。

「一日で元が取れる。」

◎◎◎

6~7年前、長男が1歳になった頃に買った記念すべきチャリ1号は、アシストなしタイプだった。それでも、5万円ほどした。

すでに周囲のママ友たちはアシスト付きが主流だっだ。

でも、元アスリート、元トレーナーの私には、お金はなくても、体力がある。長男はかなり小柄で、乗せるのも楽ちんだ。
テクノロジーの力などに頼らなくても、という自負があった。

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そこから3年ほどノーアシストで粘った。
周囲がどんどんとアシスト化していく中で、孤高の戦士として闘い続けた。
長男が3歳半の時に次男が生まれた。
乗員は3人に増え、しかも日々、育っていく。
心も身体も悲鳴をあげた。

ついにある日、慣れない大金を握りしめて自転車屋に向かった。

「試乗、どうぞ」
一台の電動アシスト自転車の前に立つと、20インチの小さなタイヤが目に入った。
嫌な予感がした。
「安定性が高い」とすすめられたチャリ1号と同じサイズなのだ。
安定はしても、その小さなタイヤは、漕いでも漕いでも進まないのだ。
乗るたびに太ももがパンパンになるのだ。

半信半疑で、まず前の座席に次男、後ろに長男を乗せた。
最後に私が自転車にまたがり、電源を入れ、いつものようにペダルに足をかけた。

その瞬間。

信じられない力で、身体がふわりと前に進んだ。
足を踏み込んでもいないのに。

その感覚はまさに、ゼロ・グラビティ。
前後に乗る子どもたちの重みも、自分の体重さえも感じない。
ペダルに足を乗せただけで、グイッと前に進んでしまう。

何だ、これは。

後ろの席では長男が「わぁっ」と歓声をあげ、前の席の次男は体をこわばらせている。

たちまち私は、恋に落ちた。この恋は、手放してはいけない。

「これです。これが、いいんです」

他の自転車を試しもせず、決めた。

思い出の詰まった1号が自転車屋に引き取られていくのを、振り返ることもなく3人乗りで帰路についた。
家に着いた頃には、1号のことはもう忘れていた。
恋は、いつだってそんなものだ。

◎◎◎

新車に浮かれる私には、小さな不安もあった。

チャリ2号では、いつも抱っこひもの中にいた次男が前の座席へ、そこが定位置だった長男は後部座席へと移る。

指定席を弟に譲るのを長男が受け止められるのか、心配だった。まだ5歳。私の目には赤ちゃんに見えていた。
出掛けるたびに、席争いで喧嘩にならないか。

けれど。

彼は「1つ成長した者が座る」後ろの席を、とても喜んだ。
座席にヒョイっとよじ登ると、もう僕には抱っこで乗せてもらう必要などないのだ、と誇らしげな顔を見せた。

なんのことはない。
長男が後ろの席に移り、視界から消えて不安だったのは私自身だった。

◎◎◎

自転車があれば、私たち家族に車は要らない。

日曜日には、子ども二人を乗せ、箱売りの水やら、米やら、野菜やらなんやらをまとめて大量に買い込みに行く。
人間込みで総積載何キロなのか不安になるほどだが、それでもチャリ2号は「無重力」で進む。

長距離の移動だってお手の物。
私は1時間くらい自転車を漕ぐのはへっちゃらで、地続きならばどこへでも自転車で出かけた。
気ままに荒川沿いを南下しているうちに、ディズニーランドを目指したくなり、目前にお城が見える海沿いの公園まで行ったこともあった。

ペダルが軽いから、親子の会話も弾む。

「今日、学校でね…」
「トムとジェリーがね…」

兄弟はお互いの声がほとんど聴こえないらしい。
私を挟んで二つの会話が交差する。
そんな二人の話を交互に受け答えするのも楽しい。
時々、三人で大声で歌いながら走る。

「自転車じゃ、大変でしょう?」と多くの人は言う。
ちっともそう思わない。

自転車に乗るのは気持ちいい。
息子たちと風を感じるのは、私たち家族にとって「大切な時間」なのだ。

◎◎◎

しばらくすると、そんな素晴らしき自転車ライフに異変が続いた。
度々、パンクするようになった。
近所の自転車屋に持ち込むと、タイヤがかなり擦り減っているという。
タイヤごと交換した。

今度は、妙な金属音がするようになった。
よく見るとスポークが一本折れていた。
交換して1ヵ月もしないうちに別のスポークが折れた。

誰かの「悪戯」かと疑いつつ、すっかり顔なじみになった自転車屋に行くと、店主が「ねぇ、この自転車って中古で買ったの?」と意外な言葉を漏らした。
「見てよ。リムっていうんだけど、ここ、ブレーキの形で凹んじゃってるの。こんなこと、なかなかないよ。」

思い当たる節はあった。
引っ越ししたとき、一時期、めいっぱいブレーキを握り込まないと止まれないような坂道を毎日のように通っていたのだ。

スポーク折れが続くことも気になってはいたし、ホイールごと交換に踏み切った。
これでしばらく安心、と思いきや、パンクは続き、先日、二度目のタイヤ交換をする羽目になった。

度重なるトラブルは、子どもたちの送り迎え、通勤、休日は買い出し、お出かけと、酷使し続けたからだけではない、と気づいた。

電動アシストの「無重力」は錯覚なのだ。

毎日一緒にいると、気づかない。
電動アシストの威力で、気づかない。
だけど、子どもたちはいつの間にか大きくなり、自転車のキャパを超え始めていた。

でも、この「足」がなければ、生活は回らない。
私たちは前に進めないのだ。

◎◎◎

不安への答えは、意外な形で見つかった。

「今日は家まで歩く」

ある日、長男が突然、帰り道の自転車を降りた。

「え?なんで。乗っていけばいいじゃない。」
「ううん、いいから」

そう言って小走りに駆け出した先には、友人たちがいた。
少しだけ私に手を振って、もう振り返らずに、笑い声が聞こえてくる。

母の手を握って離さなかった小さな子、頼りない足でよちよちと歩きはじめ、ママチャリに乗るのが大好きになった子は、自分の足で歩くと選ぶ歳になっていた。

私の前から、少しずつ、少しずつ、いなくなる。
私の知らない、自分の世界を自分の力で築いていく。

そして、近いうちに、自分の自転車に乗って、さらに世界を広げていくのだ。
いつか、私がそうしたように。

◎◎◎

家族で一緒にママチャリに乗る時間は、もうすぐ終わる。

でも次は、2台の自転車で、もう少し先には、3台で、一緒に走ろう。
家族の時間は終わらない。
新たなステージに向かって走り始める。

「暗くなる前に帰りなさいよ」

長男の背中に声をかけ、私は走り出す。
今日も、自転車に乗って。

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最後までお読み頂きありがとうございます。
前回の「noteデビュー作」は、こちらです。
よろしければ、ぜひご覧ください。

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