今では一滴も飲まない私が昔入りびたっていたバーの話 【エッセイ】
行きつけのバーがあった。
すっかり手足になじんだカウンター席で日付をまたぐ頃になると、メニューにはないカレーライスなんかが「まかない」として私にも振る舞われる。それぐらいには行きつけていた。
地下鉄の終電が0時前後。私が店内でテッペンを越えるのはすなわち「今日はタクシーだからもうちょい飲ませろ」のサイン。店員は皆それを承知していて、いよいよ腰を落ち着けた私をもてなしてくれたものだ。閉店時刻の2時まで。ときにはそれをだいぶ過ぎるまで。
バーといっても、実は大手系列のチェーンだった。照明を暗めにしてバーらしい雰囲気を醸しながらも、一歩足を踏み入れれば意外とカジュアルで金額もまあまあ手頃。それでいて、ちゃんと蝶ネクタイを締めたバーテンがカウンターでシェイカーを振り、話し相手になってくれる。20代前半の呑兵衛な独身女には理想的な店だった。特に、新卒入社でいきなり縁もゆかりもない仙台という土地に配属された私には。
今思えば、店がすいているタイミングで通えたのも好運だったなあ。私の勤め先は土日も営業していて、皆が交代で休みを取る会社だった。私は平日休みの方が役所やら病院やらMOVIXのレディースデーやらの都合がよかったから、世間的には休前日じゃない日こそ、夜ふかし日和だったわけ。しかもこのバー、会社から徒歩5分。自宅まではタクシー乗っても1000円ちょい。最高か!!
不思議と、料理のことはほとんど憶えていない。つまみ程度に2品、3品頼んで、あとはひたすらカクテルを飲んでいた。週1か2でバーに通うような人ってお酒に詳しそうなイメージあるけど、私は全然。単純に酔いたくて飲むタイプだったから、 一家言も半家言もない。
その代わり、たしなむ程度と呼ぶには飲む量が多めだったかもしれない。一晩で7、8杯は空けるから、勘定は1人で5ケタに上ることもあった。ちなみに、当然ながらというか何というか、このバー通いの約2年間は人生で一番太っていた時期でもある(悪いことは言わない。深夜の暴飲は若いうちだけにしといた方がいいよ)。
出会った当時、店長のWさんはまだ20代。社員は彼とシェフだけ。他はバイトで、おおむね東北大の学生たち。これがなかなかのイケメンぞろいで、仕事もできた。
小動物系のK君は、露骨に愛想を振りまきはしないものの、押さえるとこはちゃんと押さえてるクールガイ。
「次どうします?」
「んー、じゃオリジナルで1杯お願いしよっかな」
「いいっすよ。どんなのいきましょ? 甘すっきり?」
「そうね(内心ニンマリ)。あ、あれ行こっかな……」
と私が言いかけた時点で、K君はすでに背後の棚からDISARONNO(アマレット)の瓶を手にしている。……ご名答。そりゃ足しげく通いもするわ。
私が初来店したときからいるM君は、イニシャルMのくせにSっぽさがあるというか、ちょっときかん坊っぽいところのある弟キャラ。系列店の店員女子がお客さんとして来ていた日、閉店後に彼女とM君と3人でカラオケオールしたことがある。飲みながら歌ってるうちにだんだん甘えん坊化していくM君。私はそれを見てやっぱり酒って怖いなと思うなどした(まあ私の方が学生時代にはよっぽど派手にやらかしてきたんだけど)。
私の中のイケメンランキングでダントツ1位だったTちゃんは、シェイカーの振り方がピカイチにきれい。店長よりもずっとサマになっていた。イケメンは何をしてもつくづくイケメンだねえ。
ある晩、Tちゃんは「レインボー」というカクテルに初挑戦した。ググったらすぐに写真が出てくると思うけど、7つのリキュールやシロップを使ってその名の通りグラスの中に7色の層を作る、目で楽しむためのカクテル。そうそううまく作れるもんじゃないらしいんだけど、Tちゃん器用だからやらせてみようってことになったんだろうね。店長が見守る中、Tちゃんが慎重に虹色の層を重ねていった……はずだけど、途中でギブアップして店長が引き継いだような気もする。最終的にはきれいに虹ができてた記憶があるけど、あれ結局誰か飲んだのかなあ。
ちなみに、「インスタ映え」なんて言葉はまだなかった。インスタ自体が生まれてなかったし、スマホも普及してなかった。私にもガラケーで写真を撮る習慣はなかった。でも、思い出の中にだけかかる虹ってのもなかなか乙じゃない?
そんなバイト君たちに囲まれ、私は私で、BGMが止まっていることに気づけば片耳を指差す彼ら流のサインをまねて知らせる。「ちょっとこれ味見してみて」と言われれば新作のカクテルや料理の実験台になり、新人のO君がクレジットカード決済に手間取ったために私の終電が行ってしまっても、心で泣きながら顔では笑って水に流した。
決して「隠れ家」にしてたわけじゃなく、いろんな人を連れて行った店でもある。ちょうど休みが一致した同僚、東京から遊びに来た家族や友人、退職を希望する私を引き止めようとする上司まで。とはいえ、彼らが口にするのは店に対する感想じゃなく、「お前普段こんなことしてんのか」という私へのコメントばかりだったけどな。
* * *
そんな私が、一身上の都合で酒をやめた。仙台を離れ、さらに日本を離れてしばらくたった頃のことだ。
人生最後の酒は記憶にない。飲み納め的なことはしない方がいいと直感的に思ったもんで、「じゃ今からやめよう」と決めてから一切手を付けていない。
もともと酒の「味」自体は大して好きだったわけじゃないから、やめてからも飲みたくなることはほとんどなかった。夏に一度ビールを欲したぐらいで、そのときはよく冷えたノンアルコールビールで十分満足した。
しかしながら、ある種の喪失感があったのは確か。前述のバーに通ってた仙台時代もそうだけど、それ以前の学生時代にしろ、それ以降にしろ、酒を飲んでいたからこその思い出というのが、多すぎて、濃すぎて、飲まない自分が空っぽに感じられたこともある。翼の乾いたエンジェルとでも呼ぼうか。
シラフでカラオケに行くと、思うように声が出なかったり。知らない人に声をかける勇気も、会話を楽しむ社交性やいわゆるノリの良さも、アルコールが見せてくれた夢でしかなかったのかなと不安になったり。その懸念は実際、あたらずといえども遠からず、かもしれない。
酒で気が大きくなることで克服されていた弱点というのがおそらくある。ただし、酒を覚える前の幼小中高とかを振り返ってみると、決してそれらの弱点のせいで行動を狭められていたわけでもなさそうだ。結局、飲んでも飲まなくても私は私なのだと納得するのにそう時間はかからなかったように思う。
あのバーを思い出すとき、あの時代の自分の生き方をずるずると付随的に思い出す。どう考えても得意じゃない仕事に取り組み、長時間のサービス残業に耐え、休日に東北各地を訪ねては、首都圏育ち目線でみる田舎の圧倒的寂しさに精神的ダメージを受け……。ほら、J-POPを聞くとその曲が流行ってた頃のあれやこれがよみがえってきちゃうのと似てるかもね。
バーに行ったからって必ずしも酒を飲まなきゃいけないわけじゃないだろうけど、「近くに友達いないし同僚とも休みが合わないからバーに長居して店員さんとワイワイする」ってのは、酒飲みならではの発想だったと思う。酒とともにあった当時の私も、思い返してみればこんなに愛しい。
飲まないことが心と体に浸透し、そんな私に周囲も慣れきった今、しみじみ思う。酒を飲まない人間にも「乾杯」という心境があるし、機会があるんじゃないかと。「おめでとう」や「お疲れ」、「ありがとう」に「こんちくしょう」に「元気出せよ」。数え切れないほどの乾杯が、そこかしこにひしめいている。
酌み交わすのはきっと、酒じゃなくてもいい。それこそ、フリーとかゼロイチ、ゼロハイとかいろいろあるやん? ジュースとかお茶でもいいやん? みんながお酒で、私だけソフトドリンクでもいいやん?
こんなご時世だからオンラインで「集合」なんてもはやザラだし、文字通り杯を掲げるばかりじゃなくてもいいよなあとさえ思う。深夜にひとりで聞くラジオだって、物言わぬ飼い猫だって、立派に乾杯の相手を務めてくれるかもしれない。
この世に人がいる限り、乾杯という文化がなくなることはない。そんな気がしている。
ちなみにあのバーは、元はといえば『仙台の飲みどころ100選』みたいなガイドブック的な本で見つけた1軒だった。気になった店を渡り歩く、その初期に見つけたこの店が、仙台在住期間の最後まで大切な居場所になった。
あれから20年近く経つけど(はい~年がバレる~)、ググってみたら同じ場所にまだ当時の名前であるらしい。もちろん見知った顔が残ってるはずもないし、店内の様子やメニューだってガラッと変わってそうだけど、いつか再訪してみたい気持ちがちょっとだけあるんだよね。
そのときは、おしゃれにソルティライチでも傾けながら思い出話ができたらいいな。「おばちゃんの若い頃はねえ……」なんて、現役大学生に絡んでウザがられたりしてさ。ノンアルコールのオリジナルカクテル作ってくれるかなあ。それとも、もうそういう雰囲気じゃなくて、「昭和丸出しのBBAがむっちゃ話しかけてきてワロスwww」とかリアルタイムツイートされちゃったりするのかな。
そうなったら、それを肴にしてまたどこかで仲間たちと笑い合おう。それが私の、未来の乾杯だ。
※初エッセイです。
※ヘッダー写真はイメージです。私が行ってたバーの写真はありません。残念!