《前編》 ウンブリア国立絵画館(The National Gallery of Umbria):絵画館の歴史と中世末期の作品まで
ウンブリア州の州都ペルージャのプリオリ宮(Palazzo Priori)内には、13世紀から19世紀までのイタリアの絵画を中心とした美術品を集めたウンブリア国立絵画館(伊:Galleria Nazionale dell'Umbria/英The National Gallery of Umbria)がある。
元々、この絵画館のコレクションは、モンテモルチーノにあるオリヴェターニ修道院(Convento degli Olivetani)を母体とする16世紀半ばに活動していたペルージャのデザイン・アカデミー(Accademia del Disegno)が所有していた美術品であった。
18世紀末、ナポレオンによるイタリア戦役が繰り広げられると、教会国家はナポレオンの手に落ち、教皇に反発するローマ市民たちによるローマ共和国(Repubblica Romana; 1798-1800)が設立される。
このような政治的混乱の中、宗教施設は、抑圧され、ナポレオンの失脚によって一旦状況は落ち着いたものの、イタリアが統一された1860年代に入ると、今度はイタリア王国(Regno d'Italia; 1861-1946)によって抑圧されるようになる。
この国家による抑圧により、もとは宗教施設が所有していた美術品の数々は国家が所有するものとなっていく。
1878年、美術品は、13世紀末の建築家ヤコポ・ディ・セルヴァディオ(Jacopo di Servadio)とジョヴァンネッロ・ディ・ベンヴェヌート(Giovannello di Benvenuto)によって建てられた都市の中心部に位置するプリオリ宮の中に入れられることになった。
さらに1918年には、寄贈品や遺贈品も収蔵したヴァヌッチ・ガレリア王宮(Regia Galleria Vannucci)が王の支援を受けて誕生し、その後、この王宮は、現在のウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell'Umbria)という名に改められた。
その主な収蔵品の作者を年代順に列挙すると、中世とルネサンス期としては、アルノルフォ・ディ・カンビオ( Arnolfo di Cambio)、ニコラ、ジョヴァンニ・ピサーノ(Nicola e Giovanni Pisano)、ドゥッチョ(Duccio)、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ(Gentile da Fabriano)、ベアート・アンジェリコ(Beato Angelico)、ベノッツォ・ゴッツォリ(Benozzo Gozzoli)、ジョヴァンニ・ボッカティ(Giovanni Boccati)、ピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)、さらに、ベネデット・ボニフィリ(Benedetto Bonfigli)、バルトロメオ・カポラーリ(Bartolomeo Caporali)、フィオレンツォ・ディ・ロレンツォ(Fiorenzo di Lorenzo)、そしてペルジーノ(Perugino)とピントリッキオ(Pintoricchio)、近世以降は、ピエトロ・ダ・コルトーナ(Pietro da Cortona)、イル・サッソフェッラート(il Sassoferrato)、フランチェスコ・トレヴィサーニ( Francesco Trevisani)、セバスティアーノ・コンカ(Sebastiano Conca)と枚挙にいとまがない。
ここでは全てを紹介することはできないが、写真に収めた一部の美術品たちについて書いていく。
まず主に13世紀の作品が集められた第1室(Nicola e Giovanni Pisano Arnolfo di Cambio)。
この展示室は、全40ある展示室の中でも一番広く、収蔵されている作品もかなり多い。
その一つのマエストロ・ディ・サン・フランチェスコ(Mestro di San Francesco; 1250-80年に活動)の『十字架像』(Croce processionale a due face)(c. 1272)。
次の第2室(Duccio di Boninsegna)に展示されるメオ・ディ・グイド・ダ・シエナ(Meo di Guido da Siena; 1319-1334)の『尖頭状の板絵』(Tavola cuspidata, 1325-30 ca.)。
中世のペルージャは、12世紀には自治都市として機能しており、ペルージャ大学が設立されるなど、都市文化が花開いていた。
またこの頃、イタリア半島ではシエナを中心に活動したシエナ派が最盛期を迎えており、どれもその影響を強く受けた作品となっている。
こちらは、第4室(Giovvani di Bonino, Maestro di Paciano, Maestro della Dormitio di Terni)の『聖アゴスティーノのマリア』(Madonna di Sant'Agostino;作者不明、1301-25年頃に制作)。
そしてヤコポ・ディ・ミーノ・デル・ペッリッチャオ(Jacopo di Mino del Pellicciao; 1320-96)の『三幅対祭壇画』(Trittico portatile)(1370-90 ca.)。
こちらは、第6室(Gentile da Fabriano Alvaro Pires de Evora)のジョヴァンニ・デル・ビオンド(Giovanni del Biondo; 1356-98)による『受胎告知』(Annunciazione della Vergine)(1385 ca.)。
先日のペルジーノの記事で紹介した15世紀の『受胎告知』とは構図も色使いもかなり異なっていることが分かる。
時代は下り、15世紀前半に入っても、ゴシック美術(gothic)の影響が残っていたが、さらにペルージャの外の都市から来た芸術家が、都市の美術に影響をもたらした。
第7室(Bicci di Lorenzo)のアンビート・ディ・マリアーノ・ダントニオ(Ambito di Mariano d'Antonio; 15世紀に活動)による『受難』(Arma Christi, 1440-50)。
重要なペルージャのゴシック後期の芸術家であるマリアーノ・ダントニオのこの作品は、『受難』をモチーフとした宗教画の中でもかなり稀な例である。
というのも、キリストの周りには、彼が墓から出てくる様子を表すかのように、肉体の一部がちりばめられているからである。
第8室(Beato Angelico)に展示されるトスカーナ出身、主にフィレンツェやバチカンで活躍したドミニコ会修道士ベアート・アンジェリコ(Beato Angelico/ Fra Angelico; 1395‐1455)による『グイダロッティのポリプティック』(Guidalotti Polyptych)(1447‐48)。
中心に聖母子、周りに聖人と天使たちが描かれた大掛かりな作品である。
また、この宗教画の下の部分は聖ニコラの生涯が描かれている。
多くの宗教画を残したベアート・アンジェリコは、フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi)やピエロ・デッラ・フランチェスカ(Piero della Francesca)と同時代の芸術家として、後世の人々にも高く評価されている。
特にこのベアート・アンジェリコの作品にはゴシック後期の作風とルネサンス期の影響が並存しているという。
絵画館の成り立ちと中世の美術について書いた《前編》は、一旦ここで筆を置く。
《後編》では、いよいよルネサンス期の幕開けとなる15世紀後半の作品を紹介していく。
ウンブリア国立絵画館(Galleria Nazionale dell'Umbria)
公式サイト:galleria nazionale dell'Umbria
公式インスタグラム:@gallerianazionaledellumbria
住所:Corso Vannucci, 19, 06123, Perugia, Italy
開館時間:8:30-19:30(11月から3月まで;月曜休館)
12:00-19:30(4月から10月までの月曜日)
8:30-19:30(4月から10月までの火曜日から日曜日)
※最終入場は18:30まで。
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