音楽と歴史の街イタリア・スポレート(Spoleto):見逃せない街歩きスポットを紹介
1. 音楽と歴史の街スポレート
1-1. 人々を虜にする街スポレート
様々な芸術家や文筆家たちが絶賛したイタリア・ウンブリア州の都市スポレート。
今回のnoteでは、2018年5月と2020年10月に筆者がスポレートに滞在した記録から、スポレートの魅力を紹介していきたい。
芸術家ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti;1475-1564)、詩人ジョズエ・カルドゥッチ (Giosuè Carducci;1835-1907)、そして劇作家・詩人ガブリエーレ・ダンヌンツィオ (Gabriele D’Annunzio;1863-1938)らは、スポレートの美しい風景に驚嘆した。
(スポレートの夜の風景)
またイギリスのロマン派の画家ウィリアム・ターナー(William Turner;1775-1851)やデンマークの画家ヨハン・ルートヴィッヒ・ルンド(Johann Ludwig Lund;1777-1867)らはその旅行記に数々のスポレートのスケッチを残した。
(細く入り組んだ道が多いのも特徴)
さらにフランスの小説家スタンダール(Stendhal;1783-1842))は、スポレートの都市の中心から徐々に周囲の丘に入り込んでいくマッテオッティ通り(Viale Giacomo Matteotti)を特に絶賛した。
1-2. 古代にまで遡るスポレートの歴史
モンテルーコ(Monteluco)の麓に立つスポレートは、古代ローマのムニキピウム(Municipium;自治都市)として栄え、その頃の遺構として、ドゥルスス門やゲルマニック門(23年)、ローマ劇場(紀元前1世紀)、ローマの家(紀元前1世紀)が残されている。
4世紀より、司教座が置かれていたとされるスポレートは、570年、ロンゴバルド人のもとで、独立したスポレート公国(Ducato di Spoleto)となった。
ファロアルド1世(Faroaldo I;570-592)が最初のスポレート公されたが、729年以降、スポレート公国は、ロンゴバルド王国に従属することとなった。
市街地の北東部に建つサン・サルヴァトーレ・バシリカ(Basilica of San Salvatore)は、6世紀から8世紀までのスポレート公国が独立していた時期にその起源は遡ると推定されている。
また2011年6月25日には、ロンゴバルド時代イタリアの重要な建築物としてユネスコの世界遺産に登録された。
774年にロンゴバルド王国が滅亡すると、スポレート公国は、1198年に教皇領に併合されるまでは、フランク王国に従属することになった。
時代がくだり、1362年、枢機卿アルボルノス(Egidio Albornoz;1310-67)は、教会国家の拠点としてスポレートを選び、建築家ガッタポーネ(Gattapone)に要塞の建築を命じた。
以降、ルネサンス期には、教会国家が軍事遠征を行う上での重要な戦略地としてこの要塞は使用されることに。
スポレートに再び脚光が当たったのは、フランス第一帝政期(1804-1815)であった。
1809年、スポレートは、ナポレオン・ボナパルト(Napoléon Bonaparte:1769-1821)統治下のトラジメーヌ県の県都となった。
(オブジェが立つスポレート駅の様子)
外国支配を受けつつも近代以降も存続したスポレートであったが、第二次世界大戦後、都市の鉱山と農業が危機的な状況に陥り、多くの市民が他のヨーロッパの国々に移住してしまった。
このような苦境の中、スポレートには、リリコ・スペリメンターレ劇場(Teatro Lirico Sperimentale;1947)や中世前期イタリア研究所(Centro Italiano di Studi sull’Alto Medioevo;1952)といった文化施設・研究拠点が創設されたほか、1958年には最初のドゥエ・モンディ祭(Festival dei Due Mondi)が開催された。
長い歴史の中で、スポレートは、政治的・経済的危機に陥った時期もあったが、その美しい自然と文化の保持に努め、唯一無二の文化都市としての地位を築いていったのであった。
(道端で見かけた猫の集団)
1-3. 音楽の街スポレート
スポレートは、毎年夏、ドゥエ・モンディ祭(Festival dei Due Mondi;二世界祭り)ことスポレート音楽祭が開催される街としても有名である。
音楽家ジャン=カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)によって、1958年に始められたスポレート音楽祭。
スポレートには、屋内劇場や古代ローマ時代の劇場・遺跡があること、また首都ローマからアクセスが良好であることなどが、この街が開催地として選ばれた理由として挙げられる。
アメリカとヨーロッパ、二つの芸術の世界を結びつける国際的なお祭りということで、「二世界」(Due Mondi)という名前が付けられている。
(2019年 第62回スポレート音楽祭の公式ムービー)
スポレート音楽祭には、これまでに次の芸術家たちが参加している:
ネオリアリズムや耽美的な映画で有名な映画監督ルキーノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti;1906-76)、
『ゴッド・ファーザー』や『ロミオとジュリエット』などの数々の映画音楽を手掛けたニーノ・ロータ(Nino Rota)、
『戦場のピアニスト』で知られる映画監督ロマン・ポランスキー(Roman Polanski;1933-)、
オペラ歌手ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti;1935-2007)、
ノーベル文学賞を受賞した劇作家ダリオ・フォ(Dario Fo;1926-2016)、 女優でありダリオ・フォの妻フランカ・ラーメ(Franca Rame;1929-2013)、
画家フェルナンド・ボテロ(Fernando Botero Angulo;1932-)、
シャンソン歌手ジュリエット・グレコ (Juliette Gréco;1927-2020)などなど。
(2020年 第63回スポレート音楽祭の公式ムービー)
スポレートを唯一無二の存在にしている要素の一つである音楽祭。
時代をリードする名だたる芸術家たちも、またスポレートに魅せられ、足を運んできたのであった。
ドゥエ・モンディ祭(Festival dei Due Mondi;二世界祭り)
※第64回目となる2021年スポレート音楽祭は、2021年6月25日から7月11日までの期間で開催される予定である。
公式ホームページ:www.festivaldispoleto.com
2. 街歩きの救世主エスカレーター・エレベーター
坂道の多いスポレートは、距離にしたら大したことがない距離でも、いざ歩くとなると息を切らして歩かざるを得ないことが多い。
そこで画期的というか、とても大胆なのだが、街の中には合計3台のエレベーター・エスカレーターが通っている。
ペルージャにもモノレールのようなミニメトロが山の上の市街地まで通っているが、歴史的建造物を傷つけることなく、大掛かりなエレベーターの工事をやってのけたスポレートには驚きである。
P1、P2、P3と三つあるエレベーターのうち、筆者は、P2とP3を利用したことがある。
P2は、街の一番高いところにある要塞まで伸びている。
黄色のP3は、下の駐車場の方から大聖堂があるところまで一本で行けるためかなり便利である。
この間を歩けないこともないが、かなり急勾配の坂道が続くためちょっとしたハイキングである。
地元の老婦人もこのエレベーターを利用しているのを何回も目にした。
エレベーターの乗り場はこのように分かりやすい。
ちなみにエレベーターは全て無料で乗ることができるが、上の写真のように稼働時間は決められている。
こちらはP2のエレベーター乗り場の中。
エレベーターの中には、都市の歴史を説明するパネルがあり、見ていても楽しい。
3. スポレート大聖堂
夕暮れのスポレート大聖堂。
大聖堂については、前回のnoteで詳しく紹介したが、美しいロマネスク様式のファサードとフィリッポ・リッピが描いたフレスコ画は必見である。
参考:
スポレート大聖堂(Duomo di Spoleto)
住所:Piazza del Duomo, 2, 06049, Spoleto, Perugia, Italy
開館時間:
3月1日から10月31日まで
10:30-18:00(月曜から土曜まで)
12:30-18:00(日曜祝日)
11月1日から2月28・29日まで
10:30-17:00(月曜から土曜まで)
12:30-17:00(日曜祝日)
入場無料
参考:公式ホームページ duomospoleto.it
4. アルボルノツィアーナ要塞 (Rocca Albornoziana)
4-1. アルボルノツィアーナ要塞(Rocca Albornoziana)の歴史
聖エリアの丘(Colle Sant’Elia)にスポレートの街を見下ろすかのように建っているアルボルノツィアーナ要塞(Rocca Albornoziana)。
この要塞は、1359年に着工された。
それは、教皇の権威を再確認するために教皇インノケンティウス6世(Innocentius VI; 1282 or 1295-1362/ r. 1352-62)が、中部イタリアの諸都市に要塞を建てることを計画したためであった。
教皇は、実力あるスペイン人枢機卿アルボルノス(Egidio Albornoz;1310-67)にこの計画を委託した。
枢機卿アルボルノスが1367年に死去した後も、マッテオ・ディ・ジョヴァンネッロ・ダ・グッビオ(Matteo di Giovannello da Gubbio, “il Gattapone”)が事業を引き継ぎ、1370年に要塞は完成した。
以降、スポレートの要塞は、フラミニア街道をコントロールする決定的なシステムの基盤として機能することになった。
ここから、ウンブリア、マルケ、ロマーニャなど失われた領域を回復するための軍事遠征が始められたのである。
(右手に見えるのが大聖堂から見上げた要塞)
やがてこの要塞は、主任司祭や都市の統治官(governatore)、教皇の特使(legato)の居住地としても使われるようになっていった。
その中の一人として挙げられるのが、教皇アレクサンデル6世の娘ルクレツィア・ボルジア(Lucrezia Borgia)である。
彼女は、1499年8月、父によってスポレートの統治官に任命され、このアルボルノツィアーナ要塞に40日ほど滞在した。
当時19歳だった彼女は、ナポリ王の庶子である2番目の夫アルフォンソ・ダラゴーナの子供を妊っており、彼女がスポレートを離れた後は代理人が統治官の業務を執り行った。
1502年、すでに2番目の夫と死別していたルクレツィアは、3番目の夫アルフォンソ・ダラゴーナに嫁ぐためにフェラーラに向かう際にスポレートに滞在している。
要塞の中は、フレスコ画で装飾されていたが、1816年、この要塞が監獄として使用されるようになると、そのフレスコ画の大半は失われていくこととなった。
要塞は、1982年まで、実に170年近くにわたって監獄として使用されていたが、以降、貴重な歴史的・文化的な価値が再確認され、元の要塞に戻された。
4-2. 国立スポレート公国美術館(Museo Nazionale de Ducato di Spoleto)
現在、アルボルツィアーナ要塞は、修復を経て国立スポレート公国美術館(Museo Nazionale de Ducato di Spoleto;2007年8月開館)として内部を公開している。
残念ながら、2020年10月に訪れた時には閉館しており、張り紙を見ると、2020年9月も週に2日のみなど、変則的なスケジュールで開館していたようである(以下、美術館内の写真は、2018年に訪問した時のものを使用する)。
美術館は、一階と二階(オノーレの中庭)、合わせて15の展示室を備えており、そこには4世紀から15世紀までのスポレート公国に関連する作品が年代順に展示されている。
美術館の展示室となっている要塞は、長方形の形をしており、6つの塔によって守られている。
その中には、元々は軍隊の本部として使われていたアルミの中庭(Cortile delle Armi)と、統治官のために使われたオノーレの中庭( Cortile d’Onore)があり、それらは、六角形の壁と柱廊式玄関(portico)で飾られている。
二つの中庭は、教会国家の6つの都市を表したというフレスコ画(16世紀末に制作)よって装飾されている。
またオノーレの中庭の中央部は、要塞内の最大のスペースとして儀礼や祝宴に使用されていたほか、カメラ・ピンタ(Camera Pinta)には、14世紀から15世紀に制作されたとされる2つのフレスコ画が保存されている。
(2018年5月訪問時に撮影)
年代順に展示されるという美術館の所蔵品に話を戻そう。
4世紀から5世紀のものと推定される作品は、スポレートの山々に散らばっていたキリスト教の地方に根付いていた集団の存在を証言するものである。
中世初期の作品は、スポレートの政治的・文化的重要性を証言するものである。
またノルチャの埋葬地・共同墓地から出土した葬儀用衣装を展示したセクションは、ロンゴバルドの社会的組織を知る上でとても重要である。
さらに数多くのロマネスク様式やルネサンス様式の彫刻や絵画を所蔵したセクションは、都市における美術の発展を示している。
(2018年5月訪問時に撮影)
2020年10月に訪れた時には、美術館に入ることはできなかったが、要塞の周りは自由に散策することができたので一周することにした。
この写真からは分かりにくいが、筆者は、緑色で書かれた②のところから要塞に入り、その周りをS字を描くように歩き、黄色で書かれた③のところに出てきたわけである。
ちょうど天候にも恵まれ、午後の太陽に照らされた城砦は、黄色味かかったオレンジ色に輝いていた。
市街地の中でも、一番標高が高い部分に建てられている城砦。
ここに滞在する権威者を象徴するかのような、堅固な城砦である。
アルボルノツィアーナ要塞(Rocca Albornoziana)
住所:Piazza B. Campello, 4, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
開館時間:9:30-19:30(月曜のみ13:30閉鎖)
公式ホームページ:beniculturali.it
5. 塔の橋(Ponte delle torri):詩人ゲーテが絶賛した風景
アルボルツィアーナ要塞の周りをぐるりと歩いていくと、塔の橋(Ponte delle Torri)にたどり着く。
ちょうど午後4時過ぎ、刻々と日の入りに近く太陽が、この日最後の輝きを放っている、そんな時刻にここを歩いた。
要塞を囲む壁に設けられた窓から、塔の橋が見え始めた。
しばらく歩くうちに目に飛び込んできたのが、この塔の橋である。
かつては用水路の役割も果たしていたこの橋の高さは80m、長さは230mである。
またアルボルツィアーナ要塞と標高780メートルの小さなコムーネ・モンテルーコ(Monteluco)を結んでいる。
因みにモンテルーコの人口は、2001年時点でわずか27人とのことだった。
9本の支柱で支えられたこの橋の起源は定かではないが、13-14世紀には既に存在していたとされている。
中央の2本の柱は空洞となっており、その中に見張りのためのスペースが設けられており、この橋を通って都市に入る者の監視を担当した者がそこを使っていた。
またこの橋は、常に旅人を魅了してきた。
詩人のゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)も、その一人であり、1786年10月27日にテルニ(Terni)に訪れたついでにスポレートにも訪れている。
ゲーテは、塔の橋について次のように語っている:
「スポレートに登り、山から山にかけられている水道橋にも登ってみた。谷にまたがる十のレンガ状のアーチは、何世紀もの間、そこに静かに立っているのであり、スポレートの至るところに、水が今もなお流れているのである。私は、これまでに古代の先人たちによる作品を3つ目にしてきた;それらには全て、同じ偉大な意味がこめられている。市民の目的にそった第二の自然、これこそが彼らの建築の方法なのである:円形劇場や寺院、そして水道橋もこのように生まれたのである。
私は今やっと、全ての頑固な建築に対する私の嫌悪をどう解釈すべき分かった。(ドイツの建築物を例に挙げつつ)これらは、死んでいるかのような建築物である。なぜならば、真の内的存在を持っていないものは全て、生命があるとは言えず、偉大とは到底言えない、また偉大になることもできないからである。」
参考:ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ著、上妻純一郎 編、岩崎真澄・吹田順助訳 『イタリア紀行 完全版』古典教養文庫、2019年(電子版)/ Italian Journey, 27 October 1786, tr. Andrew Shieldsの英訳をもとに筆者訳)
このようにゲーテは、スポレートの塔の橋が、人々の生活に根差した生きた建築であることを強調している。
当時、ワイマル公国の宰相を務めていたゲーテは、「ドイツにおいて自分を苦しめ悩ました肉体的・精神的な病気を治すこと」を目的として、1786年から長い休暇をとり、イタリアで過ごしている。
まずローマに入ったゲーテは、その後、ナポリやシチリアを周遊し、結局二年間もイタリアに滞在した。
この時の体験をもとに旅行してから30年近く経ってから執筆されたのが、ゲーテの『イタリア紀行』なのであった。
ゲーテは、1786年10月27日にテルニ・スポレートに訪れたとのことであったが、筆者が、スポレートに今回滞在したのは、2020年10月27日夜から29日夕方まで。
そのため、ゲーテが見た秋の塔の橋に比較的近いものを見ることができたのではないかと思っている(奥に見える道路には車が走っているものの)。
ふと壁に目を向けてみると、先の方がすぼまっている穴がいくつか開いており、ここから見張りをしたのだろうかと考えた。
城砦の周りにいた猫のお尻。
塔の橋を鑑賞しつつ、緩やかな城砦の周りの道を下っていく。
すると城砦の門にたどり着くわけである。
(門の中に写っているおじいさんは、ずっと自分の猫の名前を呼んでいた)
城砦の入り口にたたずむ猫。
ミラノのスフォルチェスコ城の周りにも猫が多い印象を受けているが、猫は平地よりも入り組んだ造りの城砦の方が安心できるのかなという感想を抱いた。
塔の橋(Ponte delle torri)
住所:Via Giro del Ponte, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
公式ホームページ:comune.spoleto.pg.it
※2020年10月現在、進入禁止。
6. 一瞬一瞬が美しい秋の夕焼けと日没
澄んだ晩秋の空とスポレートの街。
夕闇が静かにやって来る一瞬一瞬を、カメラで追いかけてみた。
(こちらはiPhoneで撮った夕焼け)
午後3時も過ぎると、太陽も鈍い光を放ちながら、徐々に日没の準備を始めるようである。
少し目を離したり、角度を変えただけで、全く違う色を見せるウンブリアの空気と空。
こちらは城砦のから街を見下ろした様子。
ここからはあまり言葉は要らないであろう、2020年10月28日のスポレートの夕暮れを時刻ごとに追っていく。(時刻はiPhoneのカメラに記録されていたものを参考にしている)
17時11分。
17時21分。
同じ場所から写しているが、たった10分でここまで闇が濃くなっている。
17時24分。
徐々に灯りが点き始める。
17時37分。
17時39分。
空が一気に夜の色を濃くした。
17時41分。
17時57分。
2020年10月末現在、18時以降の飲食店の店内での営業を禁止するという法令がでたこともあって、17時半も過ぎるとどんどん街が寂しくなるのを肌で感じた。
なんとも物悲しい夕暮れであったが、それ以上に美しい夕闇であった。
7. サン・フィリッポ・ネーリ教会(Chiesa di San Filippo Neri)
街中に堂々と佇むサン・フィリッポ・ネーリ教会(Chiesa di San Filippo Neri)。
この教会は、1640年にスポレートの建築家ロレート・シェッリ(Loreto Scelli)によって建てられ始めたが、聖別されたのは1724年になってからである。
教会の中には、17世紀から18世紀に作られた礼拝堂を伴った3つの身廊がある。
翼廊の部分は、ドーム型になっており、祭壇は、ガエターノ・ラピス(Gaetano Lapis)、セバスティアーノ・コンカ(Sebastiano Conca)、ピエトロ・ラブルッツィ(Pietro Labruzzi)や フランチェスコ・レフィーニ(Francesco Refini)といった17-18世紀の画家たちの作品で飾られている。
サン・フィリッポ・ネーリ教会(Chiesa di San Filippo Neri)
住所:Piazza Mentana, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
公式ホームページ:comune.spoleto.pg.it
8. ジャン・カルロ・メノッティ新劇場(Teatro Nuovo Gian Carlo Menotti)
こちらは今回は外から写真を撮るだけになってしまったが、1854年から64年にかけてマルケ出身のイレネオ・アレアンドリ(Ireneo Aleandri)の計画によって建てられたジャン・カルロ・メノッティ新劇場(Teatro Nuovo Gian Carlo Menotti)である。
そのこけら落とし(1864年8月3日)にあたり、ローマの作曲家フィリッポ・サンジョルジ(Filippo Sangiorgi)は、『グイセンベルガ・ダ・スポレート』(Guisemberga da Spoleto)という作品を書いた。”
ファサードには、ロッシーニ(Gioacchino Antonio Rossini;1792-1868)やアルフィエーリ(Vittorio Alfieri;1749-1803)、ゴルドーニ(Carlo Gordoni;1707-93)といったイタリアを代表する作曲家たちの肖像画が掘り込まれた三つのアーチが備え付けられている。
その下には、スフォルチェスコ音楽祭の創設者であるジャン・カルロ・マノッティ(Gian Carlo Menotti ;1911-2007)が寄贈した17世紀の彫刻が設置されている。
劇場の中は、4列のボックス席やギャラリーがあり、天井画やムラーノガラスによるシャンデリアなど見事な装飾が施されている。
この劇場は、コンサートホールのほか、1947年にアドリアーノ・ベッリ(Adriano Belli)によって作られた美術館が併設している。
この美術館には、オペラ作家のロッシーニやヴェルディの自筆の書簡やスポレートの劇場の活動が記録された貴重な資料が保存されている。
ジャン・カルロ・メノッティ新劇場(Teatro Nuovo Gian Carlo Menotti)
住所:Via Vaita S. Andrea, 20, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
公式ホームページ:comune.spoleto.pg.it
また2020年10月時点ではあまり開いているお店がなかったのだが、街中にはポツポツとお土産屋さんもある。
地元で作られたカラフルな陶器など、旅の思い出に一つ欲しくなってしまう。
またこちらも、2020年10月には閉まっていたが、元は教会だと思われる建物が使われているペガサス座(Sala Pegasus)という映画館である。
2018年5月に筆者が訪れた際に、この映画館で上映していたウェス・アンダーソン監督作品『犬ヶ島』を鑑賞したが、とても雰囲気があって良い映画館であった(しかも自由に食べることができる飲み物やお菓子などが供えられていた)。
ペガサス座(Sala Pegasus)
住所:Via delle Terme, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
公式ホームページ:cinemasalapegasus.it
9. バス停と駅、スポレートへのアクセス方法
最後に、スポレートのアクセス方法を簡単に説明しよう。
スポレートの中心部は、このような市壁にぐるりと囲まれている。
冒頭の写真で紹介した駅からこの城壁の周りに来るには、バスも出ているが、距離にして約1km、歩いて十数分程度なので荷物がそこまで重くなければ歩いてしまっても良いかもしれない。
また市壁のすぐ外にあるバス停ポンテ・サングイナリオ(Ponte Sanguinario)からは、ノルチャ(Norcia)、フォリーノ(Foglino)、ペルージャ(Perugia)など近隣都市にアクセスできるバス・イタリア(Bus Italia)の便が出ている(トーディ・スポレート線は現在運休中)。
こちらがバス停の様子。
であり、この向かい側にあるタバッキ(Tabacchi ;写真のようにTのマークの看板が目印)で切符を買うことができる
バス停から駅の方角を映した風景。
駅から伸びる大通りには、銀行や警察、スーパーマーケット、飲食店が立ち並びわりと賑やかである(ミラノやローマの大都市に比べたら控えめではあるが)。
もっとも、ペルージャやフォリーノ、テルニといったトレニタリア(trenitalia)が通っている都市へは、5-6ユーロくらいで鉄道でアクセスできるのでそちらを使った方が便利かもしれない(1時間に2-3本は出ている)。
こちらはスポレート駅構内にあるカフェの様子。
列車の時間を待つ間に利用した。
The Station Bar
住所:Piazzale Giovanni Polvani, 2, 06049 Spoleto, Perugia, Italy
営業時間:4:45am-23:00
おまけ:スポレートで泊まった宿
今回スポレートで2泊した宿が、あまりにも素敵だったので写真で紹介したい。
予約にはBooking.comを利用したが、1組限定の宿という感じで、この小さなアパートの一室を一人でのびのび使うことができた(一泊30-35ユーロ程度)。
小さなキッチンがとても使いやすく、また揃っているお皿が可愛らしかったので自炊も捗った。
実はこの宿泊施設を利用した2020年10月末は、イタリア全土に敷かれた法令により、18時以降の飲食店の営業は停止ということが決められていた。
筆者が別の都市からスポレートに到着したのは19時前。
スーパーも19時で閉店、テイクアウトで営業しているようなお店も市街地には見当たらず、途方に暮れていたが、オーナーが用意指定おいてくれたお茶、コーヒー、朝食用のビスケットやチョコレートを晩ごはん代わりにすることができた。
一応現金はある、カードもある、なのに食べ物が何も買えないという状況は、あまりないのではないかと思っている(今から思えばUbereatsでも探せば配達してくれるところはあったのかもしれない)。
ちょっと弱いもののWifiもちゃんとあり、さらに一人で使うには多すぎるほどの清潔なバスタオルとフェイスタオルもしっかり用意されていた。
シーツや水回りももちろん清潔。
鍵の受け渡しはオーナーのお母さんが担当してくれたが「私この近くに住んでて、娘に頼まれてやってるから、なんかあったらすぐに連絡してね〜」ととても気さくな方であった。
次にスポレートに滞在することになったら、またこちらを使いたいと思っているのであった。
(2021年10月追記)
2021年10月には、また別の宿泊施設を利用した。
宗教施設の一角がホテルになっているのだが、30€台のシングルルームでも、専用バスが付いておりかなり広い。
また宿泊費に含まれ、無料で付いてくる朝食も充実している。
朝昼兼用ご飯1日目。
2日目。
両日ともシリアルとお茶でお腹いっぱいになり、持ち帰り&残してしまったが‥
日本のホテルの朝食に比べたら、甘いパン数種類、シリアル、ビスケット数種類、ジャム、コーヒー、ジュースなどと典型的なイタリアの朝食のラインナップは物足りなく感じるかもしれないが、パンとコーヒーが好きな人には充分であろう。
それにしても甘いパンの種類があまりに豊富なことに驚いた。
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膨大な写真のnoteになったが、実は今回紹介できたスポレートのスポットは一部に過ぎない。
(スポレート国立文書館)
というのも筆者がスポレートに滞在した目的は文書館での史料調査のためでり、実質街歩きできたのは、2020年10月27日夜から29日夕方までの滞在期間のうち28日の午後だけであった。
博士論文を書くために、筆者がスポレートに訪れるチャンスは、今後もあると思うので、また別のスポットに訪れたら随時書き足していきたいと思っている次第である。
(文責・写真:増永菜生 @nao_masunaga)
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