コロナ禍に田舎から上京してきた将来に迷走している保育士のこれまで。
まぁまぁだった幼少期
両親とも教育関係の仕事をしている家の三女として爆誕。
キャッチコピーは「びっくり箱」
※姉たちは「希望の星」と「平和の源」らしい。
今振り返ると、末っ子ということをいいことに、きっとやりたい放題やっていたんだと思う。
姉からは今でも「あんたが1番いいよね」と言われる。
自動的に剣道が始まった
父は剣道の先生をしていたし、姉たちも始めていたことからいつの間にか剣道を始める。
幼少期から基本的に父は好きだったが、剣道関係の時だけは大嫌いだった。
しかし、これも末っ子の性質なのかなんとなく上手くいき、地元の大会とかでは大体勝てる日々が続く。
それ以上大きい大会では全く歯が立たないのだが、、幼少期の私にはその規模で十分だった。
それでも、週3日の稽古の時は父に怒られる日と決まっている。
言語化するとこの時代どうなのかと思ってしまうので、オノマトペで表現すると
「ガッ!ドーン!バーン!ドシーン!」
みたいな感じ。
中でも1番嫌いな時間は、稽古中ではなく帰りの車内。
めちゃくちゃやられた日の車内なんてもう、、
思い出したくもない気まずさだった。
それを6歳頃から経験していたと思うとよく父を嫌いにならなかったなと自分でも思う。
お友だちと遊ぶ時間
幼少期の繋がりは、初めは大体親同士の繋がりと姉の繋がりでできると思う。
私の場合は、剣道以外での出会いはだいたい母の友だちの子どもか、姉の友だちとその妹などだった。
幼少期なんて、同じ空間にいれば自然と遊び始めるか全く関わらずに過ごすかのどちらかしかないと思っている。
自然と遊び始められるなんて子どもはいいなぁ。
自分が何かのコミュニティに参加し始めたのは、3歳児になり保育園に通い始めてから。
私の地元は幼稚園児くらいから習い事をしている友だちは少なくて、週3日の稽古に土日は試合なんてルーティンは珍しく、よく遊びに誘ってもらっても私だけ「あ、今日剣道だわ、、」ということが多かった。
結構寂しい瞬間。
この頃から少しずつ“諦める”ことが身についてきたのだと思う。
大好きなお祭り
一年のなかで好きな行事は、お年玉をもらえて、剣道もお休みのお正月、プレゼントをもらえるクリスマス。
中でも、1番好きだったのは地元のお祭りだった。
私の誕生日も祭りの時期に近いことから勝手に“申し子”なんて言ったり言われたりするほど毎年その時期が近付いてくると浮かれていた。
お祭りでは、じいちゃんばあちゃんから私みたいなちびっ子まで一緒になって楽しむことが出来る。
この空間のおかげで、いろいろな世代の人との上手な付き合い方を学んでいくことが出来た。
近年は、他のお祭りなどと同じように中止になっていたが、今年はやる予定らしい。
お祭りまでは頑張って生きていけそう。
今回はここまでにしようと思う。
自分のこれまでの整理のためにも、定期的に書いていけたらいいなぁ。