雑記:いつも心にダブルセンター'末規'を抱いて
次のキャリアが具体的に見えてきたからか、最近改めて「どうしてそうも人の話を聞けないのか」とダメ出しをくらう。
人の話を遮らないこと。
違うと感じた意見でも一旦は理解を示すこと。
みんなで良い成果を出すために。
わかってはいるけど、議論が白熱するとつい忘れてしまう私がいる。
話を聞くフリでいいんだよ、なんでそれができないの?とこの前も呆れられた。挙げ句の果てには「いじられキャラと愛嬌に隠れて分かりづらいけど、結構キツイからな?」と言われる始末。
……待って、それどこの末澤誠也?
←ちょっと歓喜
いやいやいやいや。歓喜すな。
30も過ぎていつまでも同僚に狂犬と呼ばれているわけにはいかないでしょうが。
ちょっと待ってそれどこの末z(以下略)。
いやしかしそう、そうなのである。
自分のことを顧みると鬱々とするだけなので、一度末澤さんに似ていると仮定して考えてみよう。
例えばNetflixドキュメンタリーBorderlessエピソード5に出てくるデビュー発表演出の会議シーン。
スタッフさんからの問いかけに対し正門さんが悩むねえと口を開き、小島さんが具体的な演出案を話し始める……のに彼が話終わる前に自分の意見を被せてくる末澤誠也!
やっぱ自分で意識してることは気になっちゃうものですねえ。ここね、あんなに感動的だったエピソード5で最も印象に残ってるシーンなんです。初めて見た時思わずピピーと心の笛を吹いてしまった。
こういうの!あかんねんで!!!
と、同時にわかるんです。
咄嗟に割り込みたい、かぶせたい。気持ち。
別に小島さんを否定したいとか、何がなんでも自分の意見を通したいとか思ってるわけじゃないんですよ……誰よりも周りへの愛があり意外と(?)許容範囲も広いんです……
客観的に見ると、というか末澤さんの観察を通して自分の説明を試みると。
なんで人の意見を聞くその一瞬を待てないの?という問いに対して一つ答えるとするなら、"その一瞬こそが自らの本質とそのアウトプットの明暗をわけそうな気がしているから"、になるんじゃないだろうか。
私は置いといて、末澤さんって自分が正解と思うことを常に行動で示す、それを1秒たりとも嘘なく徹底することであのカリスマ性を発揮できていると思うんですね。
そう、1秒たりとも嘘があってはならない。
そしてアウトプットへのこだわりも人一倍強い。こうあるべきだ、こうだったらいいのにな!っていう信念や理想の分解能も他の人より細かくて豊かで。同時に家の照明を暖色にするほど影響を受けやすい人でもあるから、イメージとズレている誰かの言葉が頭の中に入り込んできた時、「ああっ!違うのにっ!」って必要以上に焦るんじゃないかなあと。間髪いれず自分の意見を入れることで自分の輪郭を確かめているんじゃなかな。少なくとも私はそう。
加えて、感情表出のストロークが人より短い。シンプルにせっかちである可能性もある。(なんてったって反射的に手が出る。 ※佐野お誕生日会のプレゼント開封や栃木旅行寝起き物ボケ参照)
だからと言って他人の(小島くんの)話を遮っていいことには決してならないし、ていうかそもそも私はクリエイターでもアーティストでもないし、上記全て言い訳に過ぎない。
んなこたわかってる!!!
そんな私が参考にするべきロールモデルは正門さんだと思うんですよね。
正門さんは、強い。優しい。揺るぎない。
アンパンマンみたいに自分の一部を切り取ってでも人に優しく接することができる一方、悪に対しては毅然として許さない姿勢を貫く。
彼の理想と信念は飾らず無骨で、誰の干渉も受けない。どう振舞ったって彼の本質は影響を受けない。
やるべきこととやるべきじゃないことの基準がシンプルで明確だから、どんなことにも柔軟に対応できる。
私は正門さんを目指すべきなんだろうな。
強く優しく周りの人と手を取り合って生きていくために。
とはいえ、そればっかじゃ面白くないし、自分の繊細さとアウトプットへのこだわり、その不安定さを含めて愛していたいなあという気持ちもある。
だから、
心の中に末規を飼えばいい。
という結論に達しつつある。なんじゃそりゃ。
末規というのはガッチリピタッと共存できないものなので、自分の中でこの二つの理想像が矛盾なく噛み合うことはないだろう。
でもそんな状態で一緒にいて互いを思い、同じ夢を目指すことが、とてもとても重要で素敵なことなので。末規というのは。
これからの私の心はダブルセンター、場合に応じて赤強め!青強め!で切り替えていけるようになたい。そうすれば自分を認めつつ課題を克服しつつ、少しずつ上手くやっていけるような気がしている。何その自己理解と納得の仕方。
ちなみに小島くんの姿にも最近めちゃくちゃ学ぶことが多く、今後必要なマインドセットがたくさん詰まっている気がするのでまた書きます。