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うれしくて、さみしい。
我ながら、育児には向いていない女だと思った。
もともとそれほど子どもが好きだったわけではなかったし、もしかしたら出産すれば「子どもかわいい!天使!!」みたいなテンションがいきなり降ってくるのかなと期待もしていたけれど、そんなことはまったくなかった。 帝王切開で産んだこともあって、長い陣痛を経ての「やっと出てきたー!」みたいなのもなく。
もちろん、生まれてきた赤ちゃんはかわいいと思ったけれど、それよりも「えっ、小さい」「これが本当にわたしのお腹に入っていたの?」「てゆーか手とか折れそうなんだけど、油断するとほんとに死ぬんじゃないの!?」みたいな、未知の生物との対峙みたいな感じが強かった。
そんなわたしも、少しずつ少しずつママになっていった。まともに返事もしない赤ちゃんに「お腹すいたねー」「オムツかえてすっきりしたねー」なんて声をかけるの、アホらし……とか思っていたのに、それもいつの間にやら板についていた。
母性っていきなりどわーっと溢れてくるもんかと思っていたけれど、そうでもないんだな。なんて、なんだか他人事みたいに納得したりしていた。
いまだに、育児には向いていないと思う。相変わらず、子どもと遊ぶのは苦手だし、寒いから!という理由で公園へ行くのは拒否する。ご飯前にお菓子を食べちゃダメでしょ!と叱ったかと思えば、自分が食べたいときは「へへへ」と笑いあって一緒に食べる。(そして夕飯が食べられなくなり、夫に怒られる。わたしが)
子ども達はとてもかわいくて、腹が立って、愛しくて、憎たらしくて、大好きな存在だ。
彼らがもっともっと小さな頃から、わたしは成長を嬉しいと感じながら寂しがってきた。
生まれたての細っこい体がぷくぷくと丸みを帯びて「もう折れないだろうな」と思えたとき、手がキンキンに冷え切っても決してやめなかったバンザイ寝をしなくなった夜、顔を真っ赤にして頑張っていた寝返りをマスターして、どこまでもゴロゴロと転がっていく勇姿、何度教えても言えなかった「トーマス」がちゃんと発音できた日。
昨日まで確かに日常に溶け込んでいた一コマが、ある日突然過去になってしまう瞬間。わたしはそれを「嬉しいけど、寂しい」と言い、いつも泣いた。
友達の子は、小学生になった瞬間に子どもだけで二段ベッドで寝るようになった。なのにうちの子はずっと「ママと一緒じゃなきゃ寝ない」と頑張っていて。
子どもだけで寝てくれれば、楽になるのに。時間だってもっと自由に使えるのに。そう苦々しく思っていた。
そんな子どもが最近、「ママ、できるだけ早く隣に来てね」と言い残して寝るようになった。今夜は一緒に寝ようか、といえば、まだ喜ぶ。でももう「ママと寝るー!」と大泣きする姿は見られないのだろう、この先ずっと。
早くそうなってほしいと願っていたのに、やっぱりわたしは泣くのだ。彼らの成長が嬉しくて、嬉しくて、そして思いっきり寂しくて。