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産後うつ~闇の中から希望を感じた瞬間

初めての子どもが産まれてから、小さくてかわいくて、こんなに心から愛おしいと思ったことはないのではと思った。毎日毎日、一緒にいるのに、毎日毎日かわいいと思った。大好きで、大切で、かけがえのない存在。

だけど、育児は辛いことも多くて、自分を責めてばかりだった。
息子が泣いても、泣いてる原因がつかめず、泣き止ませられないとき。
長時間息子が泣き叫んでいるのを聞いていると、「母親失格だ」と責められているようで、辛くて辛くて仕方がなかった。次第に止まらない泣き声を聞くたびに、しんどくて、自分を責めるばかりで、消えてしまいたい、と思うようになった。

そんな私のそばで、息子はどんどん成長していき、9か月にもなれば、好奇心や自我が開花されていった。活発に動き回る息子のおむつ替えはどんどん大変になり、離乳食を作っても床に投げられる日々が続いた。せっかく用意した離乳食を食べないでおきながら、あとでお腹がへってぐずる息子にイライラしたり、おむつ替えを嫌がる息子がおむつかぶれを起こし、痛くて泣き叫ぶ息子を見ても、かわいそうという気持ちより、イライラする気持ちが大きくなっていった。

息子は心から大好きで大切な存在。それには嘘は1ミリもないのに、息子の行動にイライラしてばかりの自分。ある日、息子が何かで機嫌を悪くし、泣き叫ぶ姿に、私の心は限界に達し、気づいたら私も泣き叫んでいました。でもとっさに、こんな姿、息子に見せたらまずい、と思い、別の部屋に走りこみました。大きな怒りの渦が、体中を渦巻いているように、全身で怒りを感じて、地団駄を踏んでいました。

「なんで」「どうして」「しんどい」「もう嫌だ」「なんでうまくいかないの」「こんな自分嫌だ」「最低だ」「私なんて母親になるべきじゃなかった」「こんな私が母親で息子がかわいそう」

こんな言葉たちが頭のなかをぐるぐる響き渡りました。

怒りがやっと静まると、自分がやってしまったことに対する後悔の気持ちが浮かび上がりました。でも、それよりも、もうどうでもいいや、という投げやりな気持ちがそこにありました。
もう、終わった、と、希望が見えなくなりました。

闇の中にいた、という表現が1番しっくりくるかもしれません。

私の顔から笑顔が消えていきました。毎日の最低限の育児と家事をこなすことに必死な日々。ただ、❝こなしていく❞だけ。そこに、息子との絆を深めたいとか、息子を心から愛おしく思う気持ちや、心を通わせるコミュニケーションをしたいという気持ちも湧きあがらなかった。

それを息子に申し訳なく思っていた。でも、周りに助けを求められる環境でもなく、耐えるしかないと思っていた。

イライラしたくないから、心を無に、何も感じないようにしていました。でも、そうすると、イライラだけじゃなくて、他の感情も感じなくなっていきました。

でも結局、何かの拍子で感情が爆発。また泣き叫ぶ、そしてさらに自己嫌悪。こんな日々を続けている私に、夫が心配をして、ヘルプを出そうと提案してきました。私は、心の奥底では、「もうこんな生活は嫌だ」とわかっていたんだと思います。心の奥底では、息子と心から笑い合いたい、と願っていたんだと思います。
夫のすすめで、産後ママのホットラインに電話をかけました。電話先の女性に、今の状況を教えてと言われ、思いつくままに伝えました。私が話し終わると、「わかりますよ。とっても辛いですよね。」と言ってくれました。それを聞いて、涙が溢れたんです。と、同時にあったかい気持ちが心にじわじわと広がっていくのを感じました。それは押し殺してきた感情が、少しずつ戻っていくきっかけになりました。

私はずっと、「母親なら子どもをかわいがるべき」「母親なら育児が辛いなんてありえない」という勝手な思い込みで、自分を責め続けていたんです。「育児が辛い」って、身近な人になかなか言いにくいです。それこそ、「母親失格」というレッテルを貼られてしまうんじゃないかと怖かったんだと思います。

自分を一番責めていたのは、誰でもない自分自身でした。四六時中一緒にいる自分自身に、四六時中責める言葉、否定する言葉を言われ続けていたんです(言い続けていたのも自分ですが)。希望がなくなるのも、これ以上傷つきたくない、と、感情を麻痺させるのも、当然です。

そんなときに入ってきた、「わかるよ。辛いよね。がんばってるね」という共感の言葉。寄り添ってくれる言葉。私はそれにものすごく救われて、そこから生きづらさに気付き、自分を癒していく、そして取り戻していく道のりが始まりました。

「わかるよ。辛いよね。あなたはよくがんばってるよ」こんな寄り添ってくれる言葉、きっと一番聞きたかったのは自分自身からなんだと思います。一番寄り添ってもらいたいのも、認めてもらいたいのも、自分自身。どんな自分も、認める、受け入れる、これが「自己受容」です。

また、自己受容については、別の記事で詳しく書きたいと思います。

今日も読んでくださり、ありがとうございました☺



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