見出し画像

息子の自立を阻むもの①

私の息子は現在16歳、高校1年生です。

小学生のころからゲームのために走って下校するような子でした。今人生のすべてをゲームに注いでいます。入学した時の学力の順位が、今下から数えた順位になりました。おっとめまいが…(笑)

さて、今日は「環境調整」のお話。

2年前ぐらいから息子にも思春期がやって参りました。

当時身体15歳が許される自由を、情緒9歳(発達の子は3分の2のスピードで成長するそうですね)が、『ゲーム制限の自由化』を激しい形で主張するようになりました。何度か話し合いを経て自由化に踏み切ったのですが、暴挙は悪化する一方。市の児童相談所にある思春期外来に相談に行きました。

何度目かの相談でアドバイスされた通り、息子とは家庭内別居に踏み切ったのですが、これが大変に功を奏しました。

なにしろ、私が生き返ったんですよね。
子どもが薬を飲み忘れぬよう気にすることもなく、
したいときにしたいことができる自由。

『自分』に焦点があってくると、自分の残された時間も見えてくる。
なんなら美醜も見えてくる、誰だ鏡に映るオバサンは?

お金の計算をし、肌を整え、やりたいことの目標が定まると、
自然に子どもに対して余裕が持てるようになりました。

そして気づいたことがありました。もう「環境調整」はいらないと。

より良い人生を送ってほしい。

親なら誰しも願いますよね。私の場合ここに「環境調整」が必要なはずと思い込んでいました。

学童期の保護者は環境調整を求められます。この時期彼らは極端に失敗が多い傾向にあり、自己肯定感を失いがちで、親はコントロールを要求されている。でも成長のある時点で、今度はこの危なっかしい人から、手を離さなければならない時がやってきます。コントロールすることで回避できていたトラブルを、トラブルが起きたな、と見守るターンが来るのです。

きっとこの辺の自立の過程は発達障害の子も定型発達の子も似たフローをたどるのかもしれません。しかし、環境調整なくしてここまでやっては来れず、それだけ他に有効な手立てがなかったとも言え…。孤独に耐え、必死の思いでいた頃のこの思い入れを手放すのは私にとって勇気のいることでした。

だって今まで何度盛大な失敗を見てきたことか。

落とし物の回収のために近隣の警察署はスタンプラリーできるし、下校中に鼻血が出たけどティッシュがないから、チャックを開けたリュックを前に抱えて、教科書が遺留品になってるし、期末テストをすっぽかし、ノギス買ってくると言ってメジャーを買ってきて、充電ケーブルを紛失・毀損すること44本目。一晩シャワーの出しっぱなしで2か月分の水道料金7万円支払ったこともある。これ、ほんの半年の話なんですよ、ほんとに。

でもこの失敗でさえ、息子の物なんですよ。
たぶん、「私の思う」より良い人生ではないはず。

息子はこの障害を持って、【息子なりに】生きていくのだと思います。
失敗して立ち上がり、また失敗して。
きっと忘れ物にギネスがあるなら殿堂入りできるような豪快な人生になることでしょう。
心から彼の人生を応援したいと思うに至る、そんな時期を今迎えています。

さて、私の小さな妹たち(弟もね)、今必死で子育てしてることでしょう…。どう、大丈夫?

今回のお話は、物理的に離れても生きていける高校生だからできたこと。実生活で離れることもできない方も多いはず。
適度に休みながら、誰か頼れる人に相談して、その時が来たら鮮やかに自分の人生を取り戻していけることを願ってやみません。どうぞ、どうぞ、うまく乗り切れますように…!

いいなと思ったら応援しよう!