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八つ墓村のモデルである「津山事件」のルポ本が(ある点で)めちゃくちゃ面白い、という話
Facebookの方で流行っている「7日間ブックカバーチャレンジ」がつい先日僕にも回ってきた。
読書文化の普及に貢献するためのチャレンジで、好きな本を1日1冊、7日間投稿。
本についての説明は必要なく、表紙画像だけをアップ。そして毎日1人のfacebook、Instagramの友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いするというルールです。
とのことで、振る相手を考えると日常生活に影を落とすであろう「毎日1人〜」以降の部分は当然のように無視をしつつ、やってみることにしたが、3日やってみて思ったのは、
「本についての説明」をしないのは凄くツラい
ということだった。
これは「好きな本について語りたいことが沢山ある!」ということではなく、「なんでこれを選んだかを説明しないと人間としての印象が絶対良くない」という危機感からくる感情である。
それが顕著だったのが先程投稿した3冊目で、けっこうな文量で書いたのでせっかくだからnoteにも残しておこうと思い、こうして追記した次第だ。
「津山事件」(津山三十人殺し)
「八ツ墓村」の題材でおなじみの「津山事件」。
「三十人殺し」という惨劇のセンセーショナルぶりや犯人都井睦雄の境遇、垣間見える日本の「ムラ文化」の闇/不気味さから上記を始めとした様々なフィクションの題材になっているこの事件だが、この事件を扱ったルポ本たちになぜか夢中になっていた時期がある。
「物事そのものよりもその周辺で関わった人々や起きた事象に興味を持ってのめり込んでいく」みたいな楽しみ方を何事もよくしてしまうのだが、この事件に関しても、事件そのものよりもそれを「物語る」はずのルポ本の胡散臭さと危うさにハマっていた感じだ。
その大きな理由としては、長年この事件の「正史」として扱われていたルポ本の内容の大半が、作家によって勝手に作り上げられた「フィクション」であったことが、30年近く経った後の他の人間の著書によって判明する、という展開によるものである。
「津山ルポ本」の主なものは下記だ。(リンクは全てAmazonのリンクに飛びます)
1976年 松本清張「ミステリーの系譜」内『闇に駆ける猟銃』
1981年 筑波昭「津山三十人殺し―村の秀才青年はなぜ凶行に及んだか」
2005年 筑波昭「津山三十人殺し―日本犯罪史上空前の惨劇」
※1981年の改訂版
2011年1月 石川清「津山三十人殺し 最後の真相」
2011年8月 事件研究所「津山事件の真実(津山三十人殺し)
2015年 石川清「津山三十人殺し 七十六年目の真実 空前絶後の惨劇と抹殺された記録」
最初の松本清張のものは『簡潔に事件がまとめられた犯罪ルポ作品』のため少し趣が違うが、筑波昭による「津山三十人殺し〜」が長らく「正史」として扱われてきた。
しかしそれに対し、NHK出身のフリーライター石川清による2つの著作と、「事件研究所」を名乗る異様な熱意と時間をかけてこの事件を追った市民研究家による同人誌の中で、事件の背景や今の村の姿まで細部に渡る取材を進めた結果、「正史」として扱われていた筑波のルポ本の内容の大半が、作家によって勝手に作り上げられた「フィクション」であったことを暴くことになる。
例えば下記だ。
・犯人都井睦雄が『近所の子供に自分が創作した物語を読み聞かせていた』というエピソードがあったが、真っ赤なウソ。
・悪い遊びに誘い込んだ悪友の存在が書いてあったが、真っ赤なウソ、そんなヤツはいない。
・『阿部定に憧れていた』という話を書いていたが、それも筑波の創作
・祖母との会話がやたら生き生き書かれているが、基本全部創作。
うん…なんだそれ…。
このように石川、事件研究所の3冊から紐解いていくと、本当に筑波のルポ本は沢山の創作と虚構に溢れていた。その結果を以て直接取材をし、著書内の矛盾を突いた際の筑波氏は、半分ボケていたのか、それともトボケていたのか、ものすごくふわっふわしていた。
そして筑波は衝撃の事実を語る。
「あんまり深く調べないで書いたので良心が傷んでいる。実際に現地に赴いたのも1回、1週間だけだし、奥さんを連れて旅行がてら行った」
いや…えぇ…(ドン引き)
どうっすか、めちゃくちゃ面白くないですか…。
大きな脱力感と「物語る」ということの恐ろしさよ。
この一連の流れ及び石川清氏&名もなき市民研究家の
「ねぇ…なにがあなた達をそこまでさせるの…?」
という熱意がたまらなく面白くて、それに触発された結果、大学のゼミで生まれて初めて発表することになった美術作品の題材に取り上げ、
「都井睦雄の遺書の書き写し」という謎の形でアウトプットしてしまったのは、本当に若気の至りだったなと反省するばかりです。