見出し画像

どうせ歩くなら東海道 09 【日本橋〜品川】その1

東海道を(ちょっとづつ)59歳女が歩いた記録です。

旅のはじまり。日本橋

日本橋 獅子像(東京都中央区日本橋1丁目)

東海道の起点にして日本国の中心。
石造りの2連アーチ橋は
1911(明治44)年にかけられたもの。

親柱。刻字は徳川慶喜筆
彼は能筆家でもあります。

当時の東京市長だった尾崎行雄が
慶喜公逝去の2年前に揮毫を依頼したそう。
江戸を作った徳川幕府の功績の証を
その最後の殿様に刻んでもらうとは。
何とも粋な計らいだこと。

東京市道路元標のレプリカは
当時の首相佐藤栄作氏の書。
覚えている中で最古の総理大臣はこの人だ。
まわりの大人がえーちゃんって
呼んでたっけ。

日本国道路元標                   里程標
(東京都中央区日本橋室町1丁目)

「東京まで〇〇㎞」の起点はここ。
よく見かけますね。

鈴鹿峠歩いた時も。

鈴鹿峠 国道1号線(三重県亀山市関町)


東京はどうでもいいから
関宿までどれくらいなん?

切実に思ったこともよい思い出。

麒麟像は和洋折衷の絶妙なバランスが
見事。

日本橋 麒麟像

あとはここに空があれば言うことなし!
首都高が地下に潜るという話は
まだ生きてますよね? ね。

日本橋3丁目交差点あたり
(東京都中央区京橋1丁目)

本日はこの国道15号線をまっすぐ歩けばよい。
通称中央通り。
ただし新橋から横浜間は第一京浜。
名が変わる。

ってか東海道って日本橋から京都まで
ほぼ国道1号線を踏襲してるんじゃなかった?
なんでいきなり15号線が出てくるのか?

混乱してきたので大雑把に整理してみた。
(方角や縮尺はいいかげんです。)

国道1号線・国道15号線・東海道

第一京浜の前身は明治時代の「1號國道」
そのバイパスとして建設されたのが第二京浜。
その後交通量の増加、関東大震災や戦後の復興など
いろいろあって、1952(昭和27)年に
第二京浜が国道1号線に
第一京浜が国道15号線に

なりました。

ううむ・・ややこしい。
要するに東京周辺では1号線と東海道が
乖離している場所があるってことですね。

そういえば京都もそうですね。
三条通が旧東海道ですが
今は五条通が1号線です。

さてその国道15号線(中央通り)を
歩くわけですが
東海道の旧跡はほぼ案内板だけで
見落とすとただの散歩になってしまうので
注意!

京橋。
京都に向かう最初の橋。
かつての流路を辿る首都高速の下に
親柱が残っています。  

京橋の親柱(左:明治時代   右:大正時代)
(東京都中央区京橋3丁目0


京橋を越えれば
そこは銀座。

ブルガリ銀座タワー(東京都中央区銀座2丁目)

㊗️初銀座!
60年間も生きてきたのに
まったく縁がなかった銀座。
冥土の土産にせめて銀座の風を
胸いっぱい吸っておこう。
まだどこも開店前だけど。

セイコーハウス銀座(東京都中央区銀座4丁目交差点)

銀座和光前。日本で一番地価が高いんですよね。
調べてみたら8278万7878円/坪(2024年)

畳二畳で8278万7878円!!


なんか世の中狂ってない?

幕府は駿府にあった銀貨役所をここに移して
銀貨の鋳造を行いました。
ということで「銀座発祥の地」をチェック。

するはずが
周りのキラキラした風景に気を取られ
まったく頭から抜け落ちてました。
あれだけ注意しろって言ってたのに
もはやお上りさんの散歩になっています。

商法講習所跡(銀座6丁目) 元銀巴里跡(銀座7丁目)


その代わり少々地味ではありますが・・

商法講習所は日本初の商業学校。
銀巴里は日本初のシャンソン喫茶。
美輪明宏さんはここを拠点に
長年活躍されていました。

♪ 母ちゃんのためならエンヤコラ〜

朝の銀ブラも終わりに近づいたら
新橋エリアへエンヤコラ。

銀座新橋(東京都中央区銀座8丁目)

このあたりから街の雰囲気が急に変わる。
雑多・・猥雑・・硬軟取り混ぜ・・そんなとこ。
でも嫌いではない。

新橋親柱・銀座の柳(二代目)
(東京都中央区新橋1丁目)

♪ ホニャラホニャララ 銀座のや〜なぎ〜♪

「ホニャラホニャララ」はこれまで不明でしたが
植えてう〜れしい」と判明してスッキリしました。
(柳の下の歌碑に楽譜が刻まれています。)

ところでわが国で鉄道が開通したのは
1872(明治5)年10月14日
新橋-横浜間

(と学校で教わったけど実は4ヶ月ほど前に
品川-横浜間で仮開業されていました。)

せっかくだし新橋駅の記念碑を見に行こう。
鉄道唱歌の石碑にちょこんと乗っかってる
機関車がかわいい。

新橋駅(東京都港区新橋2丁目)

♪ 汽笛一斉新橋を
ホニャララなんとかなんとかで〜♪
(以下不明)

たしか京都まで延々と続くんじゃなかったっけ。

中央通りさようなら。
第一京浜こんにちは。

さて
歩いてきた日本橋から銀座のあたりは
かつて江戸前島と呼ばれる半島でした。
今歩いてきた新橋が半島の突端。
日比谷は海。

江戸初期の海岸線

家康は江戸入府後
臣下(特に西国の大名)に命じて
町をガンガン作り替えます。
(これを天下普請という)

江戸城のすぐそばを流れる平川
東へ付け替え
前島を横断する道三堀を開き
日比谷入江を埋め立てて武家地を整備し
さらに小名木四郎兵衛さんに命じて
隅田川〜旧中川へと通じる運河
小名木川)を作らせ

江戸から行徳までの沿岸運河

江戸城内から行徳までを運河で結びます。
家康がこの水路をなぜ必死に作ったか?
それは行徳が当時の塩の一大産地だったからです。

東海道に戻ります。

汐留の交差点に立つのは
日テレと共同通信社の社屋ビル。
新幹線を見下ろしてやがる。

汐留駅付近(東京都港区東新橋1丁目

メディアの権威を誇示するかのように
圧倒的な存在感を醸し出しています。
儲かってそうで 業績も好調そうで何より。

そもそも需要と供給のバランスで言えば
最近はもっぱら供給過多のように見える。
テレビも新聞もすでに役割を終えたような
そんな気がしますが。

それでも儲かってる好調なんですね。

(日テレさんにも共同通信さんにも
何の恨みもございません。あしからず)

そんなビルの谷間に鎮座するのは
日比谷神社

日比谷神社(東京都港区東新橋2丁目)

御祭神・・豊受大神(とようけのおおかみ)
「ウケ」は食物の意
食物穀物を司る女神です。
伊勢神宮外宮にいらっしゃいますね。
天照大神様のお食事のお世話をする
神様でもあります。

ところでここは新橋なのに日比谷?

日比谷神社はその名の通り
もともと現在の日比谷公園内に
鎮座されていましたが
江戸城の拡張により
氏子とともに芝口(現在の東新橋)に遷座。
(一回目)

明治時代に鉄道(東海道線)の敷設に当たり
新橋4丁目に遷座。(二回目)

さらに境内地が道路建設の予定地に
かかっていて2009年に現在地に遷座。
(三回目)

お気の毒だ。
しかし三度の遷座を乗り越えた不屈の神様。
その精神を私めにもどうかお授けくださいませ。

日比谷神社 御朱印



いいなと思ったら応援しよう!