どうせ歩くなら西国街道04 【住吉〜三宮】その1
西国街道を(ちょっとづつ)59歳女が歩いた記録です。
所用で神戸に行くついでにちょこっと歩きます。
JR住吉駅で降りて三宮まで。
東口から出て自転車置き場を通りすぎると
小さな広場が出現。その名を「はにわ広場」
そう。実はここは遺跡のど真ん中。
弥生時代から中世にかけての古墳群や集落を含む複合遺跡で
住吉宮町遺跡と呼ばれています。
古墳はその数70~80基!
昭和60年にマンションの建設現場から土器や土坑が出てきて
え? ここ遺跡だったんや?
ということで発掘調査が開始されました。
かわいいホタテ貝形の
住吉東古墳はいずこ?
う〜ん。ここかあ。なんだかなあ。
悲しいので案内板の写真を貼っておきます。
予定外のフンカツにハマってしまった。
まあこれも何かの縁だ。
西国街道&古墳コースってのもいいかも。
そうと決まれば次のターゲットへ急ぐべし。
ここから南約1キロの場所には
東求女塚という古墳があるようだ。
なんて読むのだ?
ひがしもとめるおんな・・?
正しくは ひがし もとめづか こふん でした。
東求塚古墳には伝説があって
古来から多くの歌や物語などに登場する
「菟原処女伝説」(生田川伝説)がそれです。
以下あらすじ。
伝説の3基の古墳。
知ってしまったからには全部行かないとね。
西国街道を外れます。
国道2号線渡って南へ歩くと
まわりは閑静な住宅街です。
東灘区は戦後、住吉村・御影町・魚崎村・本庄村
本山村が神戸市に編入されて誕生しました。
特に旧・御影町や旧・住吉村は高級住宅地で
関西の財界人や有力者が邸宅や別邸を構えたそう。
すご・・。
兵庫県知事選挙が近いですね。
「明石市長のパワハラを思い出せ!」(笑)
関係ないじゃん!
それにしても斎藤前知事の報道が180度変わりましたね。
それはそれは見事なまでに。
話が逸れますが
昔はテレビの旅番組をよくみていました。
「ブラタモリ」とか「新日本紀行」とかね。
美しい映像を見てほっこりエピソードに感動して
実際に行ってみて思ったことは
あれ? 何か違う
ああそうか。
こういうふうに見せたい。思わせたい。
最初にストーリーありきだったんですね
最近はニュースですら作り手の意図を感じるので
テレビをほぼ見なくなりました。
「テレビを見るとバカになる」と親が言ってたけど
あれ正しかったんだなと今更ながら実感。
自分の目で見て自分で考えて
自分の経験と直感を信じる。
愚直に歩いているのはそのための修行かも。
衆院選で自民党が負けて
トランプ氏が大統領選に勝って
斎藤前知事が再び県民の皆さんに選ばれるとしたら
同じ一つの流れが世の中を変えそうな気がします。
公園内の震災の慰霊碑に手を合わせます。
当時は長田区の火災の映像が衝撃的でしたが
最も死者数が多かったのはここ東灘区でした。
このような慰霊碑をこの後も何度も目にします。
刻銘されているお一人お一人の名前を見てると
胸がいたみます。
東求塚古墳は求塚東公園の中にあります。
なんか微妙にややこしいな。
きちんと整備された墳丘が公園に溶け込んでてて
茅渟壮士もさぞや喜んでいることと思われます。
再び西国街道に戻ります。
住吉駅から歩いて5分の距離にある本住吉神社。
1時間かけて戻ってきました。
主祭神
住吉三神
(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
神功皇后
ソコツツノオ、ナカツツノオ、ウワツツオ・・
先月から住吉の神様との縁が続いており
ありがたいことです。
社伝によるとこちらが住吉大社の根源だそうで
「本住吉」と呼ばれるのはそのような理由からです。
現在の社殿は震災後に復興されたものです。
旅の安全を祈願して御朱印を頂きます。
神社の東南には西国街道の碑。
道に迷わないための大切なチェックポイント。
本当に助かっています。
信号を隔てた東側には
有馬街道との交差点を示す石碑が。
有馬街道と呼ばれる四つのルートのうち
その一つがこちらの住吉道。
住吉川にそって進んだあと山中で石切道に合流し
石切山登山口で北東に分岐したあと
魚屋(ととや)道と合流して六甲山最高峰へ至り
有馬温泉へと下っていきます。
魚を運んだ魚屋通。
御影石を切り出して運んだ石切道。
道の名前に歴史を感じますね。
というわけでここからが本当の西国街道の旅。
はじまりはじまり。
おまけ:
「住吉道」については
六甲ビジターセンター ウェブサイトを参考にしました。
こちらのハイキングコースの地図が大変わかりやすく
ちょっと六甲山に登ってみようかしらん
などと無謀なことを考えて危ない危ない。