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どうせ歩くなら葛城古道03

59歳女が葛城古道を歩いた記録です。

ミッションその2「室宮山古墳」は
葛木御歳神社から北東3キロに位置します。

子安地蔵まで戻って県道215号線を北へ
さらに国道24号線を北へ。

歩き疲れて仰ぎ見れば金剛山。
ありがたやありがたや。
エネルギー充填!

金剛山(奈良県御所市小殿)


県道215号線に出てきました。

奈良県道215号線(古瀬小殿線)(奈良県御所市小殿)


御所工業団地入口(奈良県御所市城山台)

県道215線は小殿北交差点で国道24号線から分かれ
巨勢山丘陵の谷間を縫うように東へと伸びています。

小殿北交差点 国道24号線分岐 (奈良県御所市小殿)

ダンプカーとの遭遇率が高いな。

巨勢山丘陵といえば古墳。
丘陵一帯には国内最大級の群集墳があり
その数はなんと700基以上!

丘陵の西麓には工業団地や採石場が立ち並び
頂上近くには広大なゴルフコースまで作られ
開発の波にじわじわ包囲されながら
何とか生き存えている健気な古墳たち。

そりゃあまあ、古墳では飯は食えん。
昔の人だって古墳壊して田んぼ作ったし。
でもそんなのとはちょっと違うよね。

「営利」「効率」なんてものが
幅を利かせている昨今だからこそ
立ち止まって考えたいと思うのです。
先人が残した文化財を軽視することは
自国の歴史を軽視することなのだと。
ひいてはそこで育まれた自分をも。

24号線を歩いてて気になったポイント。
ひとつめ。かやの木淡島神社

かやの木淡島神社(奈良県御所市小殿)

前を行き交うダンプカーの土埃を浴びながら
淡々とそこに鎮座しておられる。
国道挟んで二礼二柏一礼。

ふたつめ。吉野川分水

吉野川分水 西部幹線水路 (奈良県御所市城山台)

吉野川からはるばるやってきた水が
ここを通って香芝市まで運ばれます。

雨が少なく水不足に悩まされてきた奈良盆地。
山一つ越えれば日本有数の多雨地帯大台ヶ原。
そこを源流とする吉野川。

 奈良「水を少しぐらいこっちに回せ!」
 和歌山「いやや。こっちは洪水で大変や」
 奈良「じゃその洪水の水でええから回せ!」
 和歌山「何いうとんねん」

滋賀の「琵琶湖の水止めたろうか」を
思い出しました。
水争いはシャレにならんですね。

吉野川は農民泣かせの暴れ川で
降れば大洪水。
日照れば大渇水。
実は和歌山側も奈良同様
水不足に悩まされていたのです。
これらを解決するべく両県で話し合いが進みます。

昭和22年に吉野川分水の事業計画が策定。
昭和27年から工事開始。
昭和62年に全工事完了。
工事期間は実に35年!
ぜひとも新プロジェクトXで放映してほしい。
壮大すぎて無理かな。

ちなみにここを流れる西部幹線水路は
昭和49年に完成しました。

吉野川分水を超えたところで24号線とおさらば。
西寺田交差点を右折すると
いよいよ室の集落です。

おっ。進行方向右側に古墳っぽいのが見えるぞ。

奈良県御所市室

もしやあれが室宮山古墳ぢゃあるまいか?
そう思い込んでしまったが最後
道なんだか空き地なんだか
よくわからない場所に突入したら

ん?
なんじゃこれ?

あやしげな倉庫にあやしげな物体。

葛城地方最大の大きさを誇る室宮山古墳のお膝元で
見てはいけないものを見てしまったような
温泉地で秘宝館に出くわしてしまったような
そんな背徳感満載のワクワク気分。

また出ましたよ。動物よけの柵。
よっこらしょと動かして脱出。

事前調査によれば
室宮山古墳の麓には室八幡神社があり
そこから古墳に登れると書いてあったはず。
しかしその神社が見当たらない。
さまよった果てに
住宅の立ち並ぶ小さな集落に出てきました。

目の前には整備された公園に広い駐車場と
不思議な形の人工池が出現。
カクカク曲がってますな。

桜田池公園(奈良県御所市室)

地元のマダムズがベンチで歓談中だったので
こっそりとお邪魔してルートを確認します。

室宮山古墳の墳丘の長さは238メートル。
238メートルだと歩いて4~5分。
カール・ルイスが走れば20秒。

翻ってさっきの(疑)室宮山古墳。
初老の女(私)がチンタラ歩いて
1分ほどで端まで行けた。
おかしくない?


案の定というか思った通りというか
道を一本間違えておりました。

室八幡神社へ向かう道はノスタルジックで
エキゾチックジャパンでした。

奈良市御所市室 宮山古墳近辺


室八幡神社に到着。

室八幡神社(奈良県御所市室)

(拝殿の写真を撮りそこねました。)

ご祭神は誉田別命(応神天皇)
本殿は春日造

春日造

八幡造でなくてもそこはいいんですね。
神道のこういうおおらかさが好きです。

奈良県には圧倒的に春日造の本殿が多いです。
春日神社や興福寺の所領が多かったことや
春日大社の20年ごとの式年造替の際に
旧社殿が他の神社へ移築されたりしたからです。
(これを「春日移し」といいます)
さきほどの葛木御歳神社もそうでしたね。

室八幡神社(御所市室)

第6代孝安天皇の秋津洲宮の場所と伝わっています。

古墳と現在の位置関係をかぶせてみました。
桜田池公園の北半分が張出部に重なっています。
池のカクカク曲がった箇所はそのまま張出部の角。

エキゾチックジャパンの道はかつての周濠。
室八幡神社のある場所は後円部のてっぺんあたり。
墳丘へはその頭のてっぺんから入るわけです。

後円部には竪穴式石室が2基あります。


参考:御所市教育委員会編「室宮山古墳範囲確認調査報告」(平成18年)」


さあ。墳丘に登りましょう!

室八幡神社 室宮山古墳登り口(奈良県御所市室)

小さくてかわいい登り口なんですが
当時は曇っていたせいか写真よりかなり暗くて
霊気みたいなものを感じて怖い。(涙)
でも・・まあ・・がんばります(涙)

怖さのあまりダッシュで駆け上がる59歳女。
どう見ても旅人を追いかけるヤマンバだ。
こっちの方がある意味怖い。

墳丘頂上に到着したのは5分後。
地面の凹凸が前方と後円の名残を
感じさせてくれます。

室宮山古墳は「室大墓(むろのおおばか)」とも呼ばれ
作られたのは古墳時代(5世紀前半)。
被葬者は武内宿禰の子で葛城氏の祖である
葛城襲津彦とされています。

南側の竪穴式石室の開口部が開放されているので
よっこらっしょと跪いて中を覗いてみると

なんと!石棺がちゃんと見える。本物ですよ本物。
石棺についている縄掛突起もかなりの迫力。

南側 石室天井 開口部

石室の高さは1m。幅1.9mなので
その気になれば中に入ることができます。
さらにその気になれば盗掘穴から石棺の中が見れます。
懐中電灯は必須ね。

これほどオープンな形で保存されているのに
無料で覗き放題。なんたるサービス精神でしょうか。
ありがとうございます!
このような状態で石室と石棺を見学できるのは
唯一ここだけなので見学者も多いそうです。
だったら誰か来てくれてもよさそうなのに。

靭型埴輪がこちら。
埴輪というより土偶みたいだな。

靭形(ゆきがた)埴輪(レプリカ) 室宮山古墳 前方部

「靫(ゆき)」とは矢を入れて背負った箱型の道具のこと。
これ以外にも甲冑や盾など武具系の形象埴輪が
石室を取り囲むように並んでいて
敵から被葬者を守っていたのです。
全員が外側に向いて立っていたそうで
麗しい忠誠心にか泣けてきますね。

さあ。本日のミッション無事完了。
ここから再び葛城古道へ戻るため
西にむかって魔の国道行軍に出発です。

国道309号線を西に歩きながら
北側から室宮山古墳の全貌を眺めます。

室宮山古墳 (奈良県御所市室)

近すぎて全部入り切らなかった。
カール・ルイスが走れば20秒。


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