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どうせ歩くなら西国街道07-3 【西宮〜大蔵谷】
西国街道を(ちょっとづつ)59歳女が歩いた記録です。
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本住吉神社からは国道2号線を歩きます。
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ちょうどお昼時。沿道のラーメン店の前で
ガタイ系のおじさんたちが列を作っています。
その前を通り過ぎてから
あれ?
御影石の石碑は?
引き返して探してみる。
ラーメン店のすぐ隣にあった。
ビルの壁に同化しててわからなかった。
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そしてまた引き返す。三回目。
おっちゃんたちの視線が突き刺さる。
なんや?このドンクサそうなオバハンは?
そんな声が背後から聞こえてきた
(ような気がした。)
御影地区は何げに史跡が多く
その一つ 澤乃井 を見るために
街道を再び南へ外れる。
阪神御影駅に向かう道は
昭和な飲食街。
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ちなみに御影はバレンタイン発祥の地。
ここに本社を置くモロゾフが1932年に
始めたのがきっかけなんですって。
御影駅の南ガード下に澤乃井がありました。
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神功皇后が三韓征伐の凱旋時に立ち寄られ
こちらの水を使ってお化粧をされた際
そのお姿が鮮やかに映し出されたことから
当地を「御影」と呼ぶようになりました。
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戦争や震災を乗り越えてきた井戸。
水は澄んでおり大変きれいです。
ガード下商店街が昭和チックで
つい引き寄せられる。
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おお! 御影石売ってる!
さすが本家本元。550,000円也。
高いのか安いのかわかりまへん。
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そう言えばなぜ墓石は御影石なんだろう?
そもそも御影石というのは花崗岩のこと。
「御影」という代表的な産出地の名が
そのまま石材名として広まったのです。
(ソーセージとフランクフルト的な?)
そりゃまあ確かにね。
「花崗岩の墓」って言われても
そのへんの遺跡にしか思えないけど
これが「御影石」になると
ブランド感がぐっと上がりますもん。
で。本題。墓石に使われる理由
1)硬い
2)吸水率が低い
3)耐久性は半永久的
4)同じ色や柄が存在しない
5)磨くと光沢が増す
なるほど。
阪神電車のガードをくぐって再び北へ向かい
御影公園のグランドのフェンス裏
(これ実は西国街道)を横切って
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御影中学校の前にでました。
街道松が残っています
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向かい側には西国街道の碑。
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進めば一里塚橋。
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川を渡ると御影石町。
まさしくキラキラネーム!(いい意味で)
西国往還付替道(通称「徳川道」)起点
石屋川の手前から分かれます。
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兵庫開港が決まったとき
外国人と日本人が接触するのを避けるため
開港場を迂回して作られた道です。
生麦事件の後ということもあって
幕府はよっぽどビビってたんですかね。
なおこの徳川道は六甲山中を抜けて
明石で西国街道を合流します。
え? これ結構ハードでは?
実際はこれより小回りの道が作られ
(そりゃそうなる)
徳川道はほとんど使われませんでした。
うーん。もったいない。
それでも有事に対する危機管理が
きちんとできているあたり
幕府は普通に有能だったと思います。
令和のどこかの国の政府と違って。
石屋川へ来ました。
灘区と東灘区の境界です。
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昔から水害を引き起こしてきた天井川ですが
背後の六甲の山並みと溶け込んだ美しい景観を
作り出しています。
ここで再び西国街道を逸脱して
処女塚古墳へ。
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前方後円墳 全長70m・幅32m(前方部)39m(後円部)・高さ17m
墳丘の形は登ってみるとよくわかりますね。
菟原処女伝説のヒロインここに眠る!
(ということになっている)
処女塚古墳の南には阪神高速3号線があり
さらにその南一帯は日本を代表する酒どころ。
灘五郷の御影郷と西郷があります。
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西国街道を素直に歩けばいいものを
あっち行ったりこっち行ったり
自分がいったいどのあたりにいるのか
いよいよ怪しくなってきた。
ここでいったん頭を整理。
・東灘区から灘区に入った。
・JRと阪神電車の間を歩いている。
・今歩いている西国街道は「本街道」
阪神高速の南が「浜街道」
浜街道には「御影郷」「西郷」がある。
・三つの古墳はほぼ一直線上に並んでいる。
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本街道と浜街道については
本街道・・大名などが通ったメインルート。
浜街道・・一般人はこっち。
芦屋から分かれて生田神社の南側で合流
御影郷と西郷は浜街道にあって
酒蔵巡りもできて
どう考えてもこっちの方が
楽しそうなんですけど。
ここは涙をのんで西国街道に戻ってきました。
石屋川で引かれた境界はなぜか駅の手前で
直角に曲がって西国街道上を通っています。
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しばらくこんな道が続いて若干ツラいです。
お腹も空いてきてさらにツラいです。
ふと現れる石碑が心の支え。
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前方に都賀川公園が見えてきたぞ!
公園の柵の中にこっそりと石碑があるので注意。
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大石駅のホーム下を流れる都賀川。
都賀川の伏流水は灘の酒造りの宮水として
利用されています。
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矢印のトンネルをくぐってすぐに右折。
正面に見えてくる横長の西灘公園を縦走して
次の大通りに出てきたところで目にしたのは
居心地のよさそうな喫茶店。
ランチメニューの看板も!
喫茶店で懐かしい洋食を食べるのが好きなので
こういうお店はとっても助かります。
店内は地元の常連ぽいお客さんが3組ほど。
私の隣にはまたもガタイ系のおじさん二人組。
お店のお母さんが私が注文したピラフを
間違えてそっちに持ってっちゃった時は
思わずヒヤヒヤしたけど
おじさん「それこの人(私)の分やで(笑)」
おかあさん「あらまあ。ごめんなさい(笑)」
あったかいコミュニケーションに癒されました。
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おいしかったです。ごちそうさまでした!
値段も割安。支払いは現金のみ可(だったと思います)
さてとお腹もいっぱいになったことだし
この後は南東600メートルの位置にある
菟原処女伝説の大トリ西求女塚古墳を
攻めに行きます!