どうせ歩くなら西国街道05【住吉〜三宮】その2
西国街道を(ちょっとづつ)59歳女が歩いた記録です。
本住吉神社からは国道2号線を歩きます。
ちょうどお昼時。沿道のラーメン店の前で
ガタイ系のおじさんたちが列を作っています。
その前を通り過ぎてから
あれ?
御影石の石碑は?
引き返して探してみる。
ラーメン店のすぐ隣にあった。
ビルの壁に同化しててわからなかった。
そしてまた引き返す。三回目。
おっちゃんたちの視線が突き刺さる。
なんや?このドンクサそうなオバハンは?
そんな声が背後から聞こえてきた
(ような気がした。)
御影地区は何げに史跡が多く
その一つ 澤乃井 を見るために
街道を再び南へ外れる。
阪神御影駅に向かう道は
昭和な飲食街。
ちなみに御影はバレンタイン発祥の地。
ここに本社を置くモロゾフが1932年に
始めたのがきっかけなんですって。
御影駅の南ガード下に澤乃井がありました。
神功皇后が三韓征伐の凱旋時に立ち寄られ
こちらの水を使ってお化粧をされた際
そのお姿が鮮やかに映し出されたことから
当地を「御影」と呼ぶようになりました。
戦争や震災を乗り越えてきた井戸。
水は澄んでおり大変きれいです。
ガード下商店街が昭和チックで
つい引き寄せられる。
おお! 御影石売ってる!
さすが本家本元。550,000円也。
高いのか安いのかわかりまへん。
そう言えばなぜ墓石は御影石なんだろう?
そもそも御影石というのは花崗岩のこと。
「御影」という代表的な産出地の名が
そのまま石材名として広まったのです。
(ソーセージとフランクフルト的な?)
そりゃまあ確かにね。
「花崗岩の墓」って言われても
そのへんの遺跡にしか思えないけど
これが「御影石」になると
ブランド感がぐっと上がりますもん。
で。本題。墓石に使われる理由
1)硬い
2)吸水率が低い
3)耐久性は半永久的
4)同じ色や柄が存在しない
5)磨くと光沢が増す
なるほど。
阪神電車のガードをくぐって再び北へ向かい
御影公園のグランドのフェンス裏
(これ実は西国街道)を横切って
御影中学校の前にでました。
街道松が残っています
向かい側には西国街道の碑。
進めば一里塚橋。
川を渡ると御影石町。
まさしくキラキラネーム!(いい意味で)
西国往還付替道(通称「徳川道」)起点
石屋川の手前から分かれます。
兵庫開港が決まったとき
外国人と日本人が接触するのを避けるため
開港場を迂回して作られた道です。
生麦事件の後ということもあって
幕府はよっぽどビビってたんですかね。
なおこの徳川道は六甲山中を抜けて
明石で西国街道を合流します。
え? これ結構ハードでは?
実際はこれより小回りの道が作られ
(そりゃそうなる)
徳川道はほとんど使われませんでした。
うーん。もったいない。
それでも有事に対する危機管理が
きちんとできているあたり
幕府は普通に有能だったと思います。
令和のどこかの国の政府と違って。
石屋川へ来ました。
灘区と東灘区の境界です。
昔から水害を引き起こしてきた天井川ですが
背後の六甲の山並みと溶け込んだ美しい景観を
作り出しています。
ここで再び西国街道を逸脱して
処女塚古墳へ。
墳丘の形は登ってみるとよくわかりますね。
菟原処女伝説のヒロインここに眠る!
(ということになっている)
処女塚古墳の南には阪神高速3号線があり
さらにその南一帯は日本を代表する酒どころ。
灘五郷の御影郷と西郷があります。
西国街道を素直に歩けばいいものを
あっち行ったりこっち行ったり
自分がいったいどのあたりにいるのか
いよいよ怪しくなってきた。
ここでいったん頭を整理。
・東灘区から灘区に入った。
・JRと阪神電車の間を歩いている。
・今歩いている西国街道は「本街道」
阪神高速の南が「浜街道」
浜街道には「御影郷」「西郷」がある。
・三つの古墳はほぼ一直線上に並んでいる。
本街道と浜街道については
本街道・・大名などが通ったメインルート。
浜街道・・一般人はこっち。
芦屋から分かれて生田神社の南側で合流
御影郷と西郷は浜街道にあって
酒蔵巡りもできて
どう考えてもこっちの方が
楽しそうなんですけど。
ここは涙をのんで西国街道に戻ってきました。
石屋川で引かれた境界はなぜか駅の手前で
直角に曲がって西国街道上を通っています。
しばらくこんな道が続いて若干ツラいです。
お腹も空いてきてさらにツラいです。
ふと現れる石碑が心の支え。
前方に都賀川公園が見えてきたぞ!
公園の柵の中にこっそりと石碑があるので注意。
大石駅のホーム下を流れる都賀川。
都賀川の伏流水は灘の酒造りの宮水として
利用されています。
矢印のトンネルをくぐってすぐに右折。
正面に見えてくる横長の西灘公園を縦走して
次の大通りに出てきたところで目にしたのは
居心地のよさそうな喫茶店。
ランチメニューの看板も!
喫茶店で懐かしい洋食を食べるのが好きなので
こういうお店はとっても助かります。
店内は地元の常連ぽいお客さんが3組ほど。
私の隣にはまたもガタイ系のおじさん二人組。
お店のお母さんが私が注文したピラフを
間違えてそっちに持ってっちゃった時は
思わずヒヤヒヤしたけど
おじさん「それこの人(私)の分やで(笑)」
おかあさん「あらまあ。ごめんなさい(笑)」
あったかいコミュニケーションに癒されました。
おいしかったです。ごちそうさまでした!
値段も割安。支払いは現金のみ可(だったと思います)
さてとお腹もいっぱいになったことだし
この後は南東600メートルの位置にある
菟原処女伝説の大トリ西求女塚古墳を
攻めに行きます!