どうせ歩くなら西国街道01【広島〜古江】
西国街道を(ちょっとだけ)57歳女が歩いた記録です。
広島の実家へ帰省したので
今回は西国街道を歩いてみました。
京都から夜行の高速バスに乗れば
広島には早朝に到着して即行動開始できる。
こういうのとってもとってもありがたい。
人生も残り少なくなってきたので
一分一秒たりとも無駄にはできましぇん。
広島宿から西の廿日市宿まで歩きます。
英雄たちの選択っぽく書いてみました。午前6時30分。
元安(もとやす)橋からスタートです。
欄干に「元」の字が隠れていますね。
大正期の創建当時のデザインは
何気にオシャレ。
原爆慰霊碑に参拝して
旅の始まり。
平和公園を西に進み
本川を渡ります。
太田川は旧市街で6つの川に分流しますが
ここが本流。
だから「本川」。
さらに西へ歩くと堺町。
かつて広島宿の西の宿駅があった場所。
写真の前方の交差点を右折したら
出雲石見街道へ入ります。
ここはその分岐点。
関係ないけどカープ来季は頑張ってくれ。
次にお目見えするのが
天満川。
堤防にいきなり鳥居。
堤防の上にこじんまりと
鎮座ましますお稲荷様。
天満川の堤防工事に伴い
この場所に遷座されたのだとか。
天満町の林もち店は
知る人ぞ知る老舗。
朝の仕込み中のところお邪魔して
豆餅を2つ買いました。
太田川放水路を渡って
旧市街地とお別れ。
河口の向こうは広島湾。
宮島が見えています。
太田川放水路は
度重なる太田川の洪水を防ぐため
支流の二つの川をくっつけて作られました。
昭和9年に工事が始まり
戦争や原爆投下による中断をはさんで
昭和43年に完成しました。
太田川放水路を渡ると己斐の町。
「こい」と読みます。
まず読めないですね。
己斐は旧市街の西の玄関口。
JR山陽本線 西広島駅と
広島電鉄宮島線のターミナル駅が
向かい合って並んでいます。
ちなみに
「ズッコケ三人組」の作者
那須正幹氏の出身地でもあります。
作品の舞台となった花山町は己斐がモデル。
太田川も「大川」として登場しています。
八幡川にかかる源左衛門橋は
第三代広島城主浅野長晟(ながあきら)公の友人だった
紫竹源左衛門さんが作ったそうです。
長晟公は源左衛門さんととってもとっても仲良しで
この近くに領地を与えて住まわせ
自ら訪ねては茶飲み話をして楽しく過ごされたそうで
お城に戻るときに別れを惜しんだ場所が
今もお餅やさんとして残っています。
話が尽きることがなかったのね。
女子高生みたいだね。
己斐を抜け、古江地区へ。
町の境界線にある瀬切石とお地蔵さん。
かつてはここが海岸線でした。
この付近には一里塚があったそうですが
現在はその痕跡はまったくないので
知らずに通りすぎてしまって残念。
予習は大事! 反省。
私ごとで恐縮ですが
実は古江は私が生まれた町でして
生家(といっても今は跡形もないけど)は
この西国街道に面して建っていた
ってなことを今回初めて知りました。
どうせ歩くなら東海道!とか言って
他所さんの土地にお邪魔しているくせに
自分のルーツにはとんと無頓着でした。
灯台下暗し。反省。
(2回目)
そんなわけで、実家の墓へ立ち寄ります。
さきほど調達した林の豆もちを
一つは墓前に。も一つは自分に。
朝食代わりに食らいつきながら
亡き父や弟としばし語り合う。
癒しのひととき。
さて。腹ごしらえもできたし。
トイレもお借りしたし。
廿日市目指して再びスタート!
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