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どうせ歩くなら西国街道31-1【広島〜廿日市】
西国街道を(ちょっとだけ)57歳女が歩いた記録です。
![画像1](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89785911/picture_pc_71688554e811f26fb669aca8b89d2465.png?width=1200)
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広島の実家へ帰省したので
今回は西国街道を歩いてみました。
京都から夜行の高速バスに乗れば
広島には早朝に到着して即行動開始できる。
こういうのとってもとってもありがたい。
人生も残り少なくなってきたので
一分一秒たりとも無駄にはできましぇん。
広島宿から西の廿日市宿まで歩きます。
時は天正17年(1589)
戦国の雄、毛利元就の孫である毛利輝元は
太田川のデルタの上に広島城を築城した。
西国街道はその城下町広島のメインストリート
市街きっての繁華街として今も現役である。
英雄たちの選択っぽく書いてみました。午前6時30分。
元安(もとやす)橋からスタートです。
欄干に「元」の字が隠れていますね。
大正期の創建当時のデザインは
何気にオシャレ。
![画像2](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89830193/picture_pc_67de8b9ea0e9ae7b82d67dc4e470ce89.png?width=1200)
広島市 中区 中島町
原爆慰霊碑に参拝して
旅の始まり。
![画像3](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89830738/picture_pc_106fb7d24fd720e9c3c1ffc7b67924f4.png?width=1200)
広島市 中区 中島町
平和公園を西に進み
本川を渡ります。
太田川は旧市街で6つの川に分流しますが
ここが本流。
だから「本川」。
![画像4](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89830932/picture_pc_bb2722f3b0b8faa2e6143bf21270d044.png?width=1200)
広島市 中区 中島町
さらに西へ歩くと堺町。
かつて広島宿の西の宿駅があった場所。
写真の前方の交差点を右折したら
出雲石見街道へ入ります。
ここはその分岐点。
![画像5](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89830975/picture_pc_c87c8012f42066f5ff144cb6b5f51f44.png?width=1200)
関係ないけどカープ来季は頑張ってくれ。
次にお目見えするのが
天満川。
堤防にいきなり鳥居。
![画像6](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/89831891/picture_pc_f57cbf2650afe4645c4e202edac8b06b.png?width=1200)
広島市 西区 観音町
堤防の上にこじんまりと
鎮座ましますお稲荷様。
天満川の堤防工事に伴い
この場所に遷座されたのだとか。
![](https://assets.st-note.com/img/1666790748800-u4i7Hauzmp.png?width=1200)
広島市 西区 天満町
天満町の林もち店は
知る人ぞ知る老舗。
朝の仕込み中のところお邪魔して
豆餅を2つ買いました。
太田川放水路を渡って
旧市街地とお別れ。
河口の向こうは広島湾。
宮島が見えています。
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広島市 西区 己斐本町
太田川放水路は
度重なる太田川の洪水を防ぐため
支流の二つの川をくっつけて作られました。
昭和9年に工事が始まり
戦争や原爆投下による中断をはさんで
昭和43年に完成しました。
太田川放水路を渡ると己斐の町。
「こい」と読みます。
まず読めないですね。
![](https://assets.st-note.com/img/1666860877458-m1yk22dIc9.png?width=1200)
己斐は旧市街の西の玄関口。
JR山陽本線 西広島駅と
広島電鉄宮島線のターミナル駅が
向かい合って並んでいます。
![](https://assets.st-note.com/img/1666861040492-JCYasUT7xa.png?width=1200)
広島市 西区 己斐本町
![](https://assets.st-note.com/img/1666861375513-DFz50AjyTG.png?width=1200)
広島市 西区 己斐本町
ちなみに
「ズッコケ三人組」の作者
那須正幹氏の出身地でもあります。
作品の舞台となった花山町は己斐がモデル。
太田川も「大川」として登場しています。
八幡川にかかる源左衛門橋は
第三代広島城主浅野長晟(ながあきら)公の友人だった
紫竹源左衛門さんが作ったそうです。
![](https://assets.st-note.com/img/1666911771762-XBzlv188zP.png?width=1200)
広島市 西区 己斐本町
長晟公は源左衛門さんととってもとっても仲良しで
この近くに領地を与えて住まわせ
自ら訪ねては茶飲み話をして楽しく過ごされたそうで
お城に戻るときに別れを惜しんだ場所が
今もお餅やさんとして残っています。
話が尽きることがなかったのね。
女子高生みたいだね。
![](https://assets.st-note.com/img/1666912788147-G6C5r6brEd.png?width=1200)
広島市 西区 己斐本町
己斐を抜け、古江地区へ。
町の境界線にある瀬切石とお地蔵さん。
かつてはここが海岸線でした。
![](https://assets.st-note.com/img/1666913269673-uYVKJEQwzf.png?width=1200)
この付近には一里塚があったそうですが
現在はその痕跡はまったくないので
知らずに通りすぎてしまって残念。
予習は大事! 反省。
私ごとで恐縮ですが
実は古江は私が生まれた町でして
生家(といっても今は跡形もないけど)は
この西国街道に面して建っていた
ってなことを今回初めて知りました。
どうせ歩くなら東海道!とか言って
他所さんの土地にお邪魔しているくせに
自分のルーツにはとんと無頓着でした。
灯台下暗し。反省。
(2回目)
そんなわけで、実家の墓へ立ち寄ります。
さきほど調達した林の豆もちを
一つは墓前に。も一つは自分に。
朝食代わりに食らいつきながら
亡き父や弟としばし語り合う。
癒しのひととき。
さて。腹ごしらえもできたし。
トイレもお借りしたし。
廿日市目指して再びスタート!