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最低な趣味

とあることがきっかけで、久しぶりに文章を書きたくなった。


毎日気だるげに大学へ通い、週末はバイトで溶かし、高校時代はあれほど食べていた朝ごはんも食べなくなってしまった一人暮らしの大学生活。モチベーションは何もない。

そんなとある日のことだった。私は今までの生活で何をモチベーションに生きていたのだろうと回顧する。

小説を書く?いいえ。
映画を見る?いいえ。
彼氏と過ごす?いいえ。
友達と遊ぶ?いいえ。
夜の一人時間をネトストに費やすこと?…


はい。


そうだ。私がこんなに楽しく生きていられたのは、奇しくも生前から備わっていたであろう私のネトスト癖のおかげであった。しかも、リアルで関わっている人間のネトストが特に好きだった。

思い返せば一人で夜な夜なネトストをしていた頃の楽しい思い出がよみがえってくる。

友達の絵描き垢。
先輩のTwitter日常垢。
2012年で更新が止まっている父親のブログ。

隅から隅まで全部見た。私のTwitterの検索欄にはいつも彼らのアイコンがあり、私のブラウザのブックマーク欄にはいつも父親のブログがあった。 
朝起きてTwitterをチェック。帰りの電車でTwitterをチェック。夜寝る前に一旦父親のブログを読み返し、またTwitterをチェックして寝る。

ひどい趣味だとは自負している。友人に到底話せる趣味でもないし、「じぶんがされていやなことはしません」という小学校での教訓なんてガン無視だ。

それでも、楽しかった。やめられなかった。

気持ちがエスカレートした私のネトストはTwitterだけでは収まらなかった。その人の全てを知りたくなってしまい、周辺人間のアカウントも全部チェックした。
Googleで本名検索をしてみたりもした。そして出てきた何らかの大会功績のPDFをまたくまなくチェックし、名前を見つけては嬉嬉としてスクリーンショットをしていた。(もちろん今は消去している)

本当に目も当てられない人間である。その自覚は前々からあり、罪の意識こそしっかりあった。罪の意識を持ちながらも、それでもやめられなかったのだが。


さて、私のネトスト遍歴はここら辺にしておいて。
なぜ私が急に文章を書きたくなったのか、これについて全く説明ができていないことにみなさんは気づいただろうか。
私は気づけたので、ここで軌道修正をする。

なぜ私が急に文章を書きたくなったのか?
簡潔に話すと、
怠惰な私生活の中に突如訪れた、私のバイト先の先輩がきっかけである。

そう、私は今
バイト先の先輩のネトストをしている…………




ネトストは辞めたつもりだった。こんなこと、人間的に間違っている!私はそう心に訴え、理性を正し、Twitterの検索欄は一掃したのだ。
ネトストをしない、アウトドアに、健全で、楽しい大学生活を送るつもりだった。

ところが、バイト先の先輩に出会ったその日に、その固く封じこめたであろう感情はいとも簡単にこぼれ出たのであった。




「この人の出生から今までの歴史、住所、恋愛遍歴、趣味、友人関係、脳みその中、全て知りたい!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」




「じゃあね〜〜気をつけてね」
初対面のその先輩と夜中にラーメンをすすり、そのまま帰り道の交差点で別れたその時、全身が喜んでいた。胸が高鳴った。久しぶりに抱いた感覚だった。
本質は恋愛感情と似ているかもしれない。しかし私が抱いているのはそんなものではない。恋愛感情とはまったくの別物である、背徳感と探究心。

「知った気」ではなく、「知った」になりたいのだ。(知り終えればその人間自体への興味もなくなってしまうだろうけど)


私が未だかつて出会ったことのなかったとある人間の全てを知って、私の頭の中の地下室にでも留めておきたい。自己満足な行為だけど、今これをすることに生き甲斐を感じている。人生のモチベーションがある。
ネトストをしている今が最高に楽しいから!!!




だから?なぜ文章を書こうと思ったの?

また話が脱線してしまった。
この話については、次回紹介しよう。


ネトストをしているうちに偶然出会ったとある「文章」が、今私が文章を書いている原動力そのものである。

先輩の兄が執筆したとあるエッセイ。
その中には、どこか粗雑で、しかし心を奪うその言葉選びのセンスが光っていた。
文章から、真っ直ぐ人となりが伝わってくるこの感覚に、私の脳は痺れ、心は奪われてしまった。

-続く-

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