好きだとか、嫌いだとか
「あんたは、ワガママよねぇ」
幼かった私が一番印象に残っている“ことば”です。
印象に残っているというか、
そればっかり言われてたような記憶です。
お前は小さいときは、よく食卓にのぼっていてね
お母さんがあんまり怒るもんだから、
「大丈夫。二十歳になっても食卓にのぼるやつはいないよ。」って言ったら、
俺がものすごくお母さんに怒られてさ
そう言って父は笑っていました。
周りの大人たちには、
お姉ちゃんは可愛いわねー!
妹ちゃんは…………元気、ね。
と評されていました。
どうやら私は、怪獣のような子どもだったようです。
“ワガママ”ってなんだかよくわからないけど、
たぶん“良くないこと”って言われてるんだな
と自分に言い聞かせていました。
それから、ずいぶん時間が経って
大人になっても
「ワガママだねー!あはは!」
と評されるのは変わりません。
三子の魂……。
ただ、受け取る印象が子どもの頃と変わったように思います。
子どもの頃は、
「ワガママ」=「あなたのこと嫌いよ」
っていう感じで、
悲しく思っていました。
今は、
「ワガママ」=「なんか自由でいいねー」
という感じで、
「いやいや、褒め言葉だよ」
なんて補足をもらったりもします。
「ワガママ」を観察してきた私からすると、
「好き」とか「嫌い」とかに関わると
「ワガママ」
と言われがちです。
私の中では更に一歩進んで、
「好き」「嫌い」を他の人にも押しつけた場合を
「ワガママ」としています。
できるだけ人に嫌われたくなかった少女時代、
私は「好き」「嫌い」を横に置いて、
「正しい」「間違っている」で
ものごとを判断するようにしていました。
でも最近よく思うのです。
「正しい」も「間違っている」も
誰にとって?
何にとって?
私は誰かのアバターにはなれないのに。
誰かの都合のいい人にはなれないのに。
「正しい」と「間違っている」は
見てる場所が違えば、違ってしまうものですよね。
本当は、この世の中に、
こうしなければいけない、とか
ああしてはいけない、というものは
ひとつも無いんですよ
以前、とあるお坊さんに教えてもらったことがあります。
あー、全部、全部、
私が、そう思ってただけだった!
私の「好き」は私にとっての「正しい」だし
私の「嫌い」は私にとっての「間違っている」だった。
だからって他の人に押しつけようとも思わない。
ただ、それぞれの美学があるだけだから。
と、いうことで、
堂々と「好き」「嫌い」で生きる
「ワガママ」な人になろうと決心したのであります。
なんてね。