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6/19 河合隼雄『こころと人生』『人の心がつくりだすもの』

おはようございます。
2冊の本、タイトルにある語彙の表記が違います。
「こころ」と「心」。

『こころと人生』からの引用
そもそも 私の仕事というのは、何もしないことに全力をあげることだと、よく冗談で言っています。 本当に何もしないで 、ぼーっとしていたら 世の中がうまくいくので、一生懸命 そうなっているくらいです 。だからお年寄りが「存在している」ということ、 これがすごく大きい意味を持っていると思います。 そして我々はお互いにそれを味わうことができるという風に思っています。
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今のワタシはやっと、この「何もしないこと」にかけられるようになりました。最初はなかなか何もしないことができなかった。何もしないのはムズカシイ。動くほうが簡単で分かりやすい。しかし、そこをグッと持ちこたえて何もしない。そうすると、たいていはなんとかなる。むしろうまくいく。
なぁんだ、今まで一生懸命頑張ってきたのは何だったのか、と思います。

本書のあとがきに谷川俊太郎の詩がありました。
河合さんのお話は コンコンと湧く泉の水のように美味しい
日ごとの太陽のように 古くて新しい 
道端の草のように当たり前でよく見ると美しい
    

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ワタシにとっての河合隼雄本はいつも汲みたての水です。
いくら飲んでも飽きることがない。
からだにしみわたって、たましいといのちを満たしてくれる。

シーグラス、ボンドで張り付けてみた(だけ)

『人の心がつくりだすもの』から
「ああ、面白かった」っていう、そこには怖かった という感情も入ります。 だけど、その感情というか 、そこのあり方 みたいなものを、もうちょっとうまく表現しておく必要があるのかもしれない。今何でも「楽しい」で片付けすぎていないか。
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たしかに。なんでも「楽しい」でくくってしまっているオノレが恥ずかしい。「かわいい」「楽しい」「美味しい」の3語で済ませていないか、ジブン。66歳にもなって語彙の稚拙さに呆れます、はい。
ある友人と話していると(何言ってるかさっぱり分からん)と思うことが、しばしばなのです。ところが、何言ってるのか分からないから付き合っている。
矛盾しているけれど、ニンゲンってそういうもんなんですね。彼女の分かりにくさは、ありきたりの言葉を安易に使わないことにあるように思います。「つまり」とか「要するに」とか「簡単に言うと」といった言い方をせず、ぐるぐる逡巡しているまんまで話す。
で、ワタシはストップをかけずにいっしょの流れに乗る。いっしょに流されていく。どこに行く着くかはいつも分からない。この年になると結論は要らない。あったとしても一瞬で消え失せることをお互いに知っている。
言い淀んだり、言葉に詰まっていいんです。立て板に水みたいな話し方をする人のうさん臭さってありますものね。
生きてる限り、言葉を學んでいきませう。


よく 「子供の健全育成」という言い方をするけれど、健全に育成したいのなら 、不健全なもの 、病的なことを認めないといけない 。そういうのをなくして、健全にしても何も面白くない。 本当の意味での健全というのは、不健康を絶対に認めている。だから 健全育成のために 不健康なものを排除しようというやり方には、僕は反対です。 それでは 本当の意味での健全にならない 。
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ものすごくよくできた両親だと、子どもは生きにくいでしょうね。うちなんか両親ともにダメな部分をいっぱい持っていたから、ワタシはいい加減に生きられたんだんなぁって思います。不健康なもの、病的なものもひっくるめて全体が成り立っている。「不」や「負」のものを排除しがちな今の日本、そりゃゆがみが出て当然だと言える。死や老いも然り。ホントウの面白さは両方を知っていないと分からないもの、だとワタシは思うですよ。


面白いことをやろうと思ったら絶対に無駄をしないとダメ。 それなのに先回りして一番の近道を教えてしまうというようになっている。 みんながマニュアル通りにやっている 。マニュアル通りにうまくやって、平均的に生きていくように教えられている 。でもそんな風に生きていてもしょうがないじゃないですか 。生きていくなら、やはり かけないと面白くない。「 俺はこれにかける」というようなことをやらないと。
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無駄の必要性が出てきて、ホッとしました。
最初に書いた「今まで一生懸命頑張ってきたのは何だったのだ?」
という憤りが消えました。
先ほどの不健康や病的なもの同様、無駄なものは何一つない。
「この年まで生きたから分かること」ってのがある。
「この年にならなきゃ分からなかった」とも言えますが、まぁ、その都度學んで行くしかないわ~。

以前はよくYouTubeの本の要約チャンネル的な番組を見ていたんですが、すっかり見なくなりました。アレ、便利なように見えて、まったく身に付かない。簡単便利の落とし穴ですね。
結局、愚直にチマチマ本を読み、ノートに抜き書きをし、実際に言葉を使ったり、実践するのがワタシのやり方。もう、それでいいかなと。

九州北部もやっと梅雨入り、明日から雨予報が続くので、今日は水汲みなどしておきます。
ではでは、今日もご機嫌元氣にありますように。



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