その、生命
超私事ではありますが、現在妊娠しておりまして、出産予定日は10月です🌕
せっかくなので、記事にして残したいと思います。
私は想いの質量を口にして伝えることが苦手で、直接話すと適当なことばっかりいって、大事なこともすごく軽いものとして話しちゃうんですよね。恥ずかしいから(だからわたしは写真を撮るのかもしれない)。
これは自分の良くない部分で、本当に伝えたいときに伝えられないぞと思うし、実は結構な重量の想いを心にしまったままだったりすると、たまに身体が重くなってしまう。
文字だったら頭の中をきちんと伝えられるので、noteで色んなこと書いていこうかとおもいます。暇つぶしくらいで気軽にみてくだされば。
◯ はじまり 2年くらい前
彼(旦那さん)から、そろそろ子供欲しいという相談があり、今は頑張るときだし、自分の生活維持だけで精一杯だし、子供がいる生活が全く想像できぬ!という理由で渋っていました。いまが大事。
そもそも結婚してたんかい!と結構連絡きて笑いました、してたんだけど、してないような親友感覚だったし、私個人に+αのバイアスがかかるのがどうしても気持ち悪くて聞かれたら言ってました。
◯ 1年半くらい前
半年間くらい何度も話し合って、授かりものだし妊活頑張りますかということで決着。元々、生理も不順だし、あんまりスムーズにはいかなそうだなとは思っていました。
実際、友人達から次々とくる妊娠報告のようにはいかなかった。
だからといって別に落ち込むとかもなく、まあ人それぞれですからね、と思ってた。
そして、不妊治療クリニックへ通いだして、調べられるものは全て調べたけど、結局原因は分からず(こーゆー人は沢山いるみたい)。
1年間クリニックに通いながら色々したけど、結局授からず、もう子供もいない人生みたいなのもありではという考えになっていました。
最後に、体外受精だけ挑戦してみたいとの彼の希望で、おーけーやるからには頑張りましょうということで、最後に体外受精をして、1回目でうまくいって今に至ります。
1回目でうまくいくとは思わなかったので、クリニックには受精卵が凍結されている状態です。あと1.2年くらいは保管してくれた気がします。(もちろん延長もできる)すごいね、現代。
さらっと書いてはみたものの、自分の中では色んな葛藤があり、この1.2年は精神的に一歩進んで二歩さがるぐらいのペースで、気持ちの変化を受け入れてきた感じ。
私の葛藤シリーズを少しお伝えします。
1.このままの生活を続けたいよ!問題
写真を撮って作品をつくって投稿してを続けて約5年。本当にここまで続けてこれたのは、周りの皆様のおかげで大感謝しております。今では、写真は私の人生の大半を占めるとても大事なもの。お仕事もありがたいことに頂けるようになって、個展の準備もしている途中で、写真を通じて仲良くなった仲間もいる。とにかく、今の生活がとってもとっても大好きで、大事。
せっかくの今だから、変化したくないし、めちゃくちゃ怖い。
この辺の不安は、なにが不安なのか棚卸しして彼と長い期間かけて話しあってきました。
結論、私が漠然と変化を怖がっているだけで、一つずつ洗い出すと気の持ちようや、やり方次第で解決できそう。逆に変化をしない人生なんてあるんか、それは一番自分が好きじゃないやつじゃないか!と思い直して、意志を固める。
2.自分が子供を育てられるのか、子供欲しいんだっけ問題
もともと結婚願望も子供が欲しい願望もそんな強くなくて、別に子供が好きとかもなく、というより全体的に名称がつくものに無欲。「結婚してる自分」みたいなのものすらなんかピンとこなくて。型に縛られず、そのとき好きなように生きるのが好き。こんな子供メンタルの自分が子を産むなんてだめなんじゃないか、と現実的に考えるだけで憂鬱だった。
いろんな人にこの話を相談してると、みんな同じようにそんな覚悟ないよ!という返答だった。子が母にしてくれるから大丈夫。って言葉を全く母らしくない、うちの母に言われて納得。うちの母は、仕事も好きなことも何も我慢することなく、周りに甘えながら遠慮なく強く突き進んで、子の人生と共に自分の人生を進めていく人。それでも肝心なときはちゃんと母だった。
いや、母になったのだと思う。強くなるしかなかったと言ってた。子を育てるということは性格すら変えるのかあ、と思うと授かったらそんなうじうじ考えられないくらい、人は変わるのかもしれないと思った。そんな自分をみるのも、長い人生でありかもしれないと思った。
3.不妊治療って長くて、もう辞めたい問題
前提として、私にとって不妊治療してたことは大変ではあったけど、しんどかった思い出でもないし、可哀想なことでもないし、隠したいことでもないです。
ただの今の自分を構成する過程という感じなので、普通に周りに話しています。(あくまで私にとっては、という感じで、人によってはとてもセンシティブな話の場合もあります)
今は13人に1人は体外受精で、治療を受けている人はもっと沢山いるので、実はすごく身近であることは知って欲しいなと。
ちなみに、私の意気地の無さには定評がありまして、嫌なことを全然根気強くできない。すぐ諦めるし逃げる。これは嫌だなと思ったことは、我慢してやってても私の場合は変化しないという経験からきております…
不妊治療って先が見えなくて、約束されていない未来に向かってがむしゃらに進めていかなきゃいけない。
しかも、超体育会系でもの凄いスケジュールでタスクがふりかかってくるのです。
はい!次、明後日これ!◯時にきて!みたいな。その辺りは、ベルトコンベアに乗ってる感じでなんとかこなせたし、特に感情の波も立たず問題なかった。
ただ1つだけ、本当にしんどかったことがあった。
検査のひとつに卵管造影というものがあり(卵子が通る道が通ってるか調べるもの)、これが本当に人生でいちばんの痛みで、もう歩けないレベルで終わったあとに車椅子で運んでもらって、もう痛いのは金輪際やりたくないって思ったのね。
病院の先生に、(もうこんな時間と身体を犠牲にして、辛いことやりたくない…)と思いながら、「もう、痛い治療はしたくないです」って勇気だして言ったら、「何を言ってるの、そんな甘いこと言ってたら妊娠出産なんてできないわよ、もう辞めなさい。若いから我慢できないの?普通にみんなやってるのよ」ってめちゃくちゃ怒られました。
え、なんで…?
悔しくて(あ、泣きそう)って思いながら、唇かんでなんとか診察の間泣くのを耐えて、何も言わずにその日の治療を終えた。
※私は決して年齢が若い訳ではないんだけど、その病院に通っている人の中では若い方だった
人によって嫌なこと、やりたくないことってそれぞれで、それを伝えるのはとても勇気がいることで。みんなできる事が私はできない。私は普通ではない、普通ではない私は妊娠出産もできないと責められてる気がした。
普通ってなに?
もう、辞める もう、やらない
って病院でてから一緒にきてた彼に泣きついて、私の心がいちど死んだ。この日の記憶は全くないです。
その後、めげた私に対してめげない彼が色々な病院を探してくれて、とっても理解してくれる病院と出会えたので結果的に病院かえて良かったのだけど、あの時は「ああ、私がいていい場所じゃないんだな」と思った。
最終的に通った病院では、あたりまえに私の気持ちを優先してくれて、担当医の先生に「痛くないやり方はいくらでもあるから、全然大丈夫だよ〜!誰だって痛いのは嫌だよ」って始めに言ってくれて、あぁ女神!(本当にその病院では、卒業まで検査も体外受精も1ミリも痛い思いをすることはなかった。)
元々その女神先生は産婦人科のお医者さんで、その先生が前いた産院を選ぶぐらいにファンになったのでした。
本当に不妊治療は長い戦いなので、病院との相性が大事。あと産婦人科や不妊治療クリニックは敷居が高いところではないし、不安なことがあれば是非早めに行った方がいいと思います。
(補足)
ビジュアルの撮影に入っている、野本監督映画「わたしかもしれない(仮)」も婦人科受診についてのお話しになってます。
4. <new!>「これからが大変だよ」有難きくそ助言
ここまで色々書きましたが、お付き合いいただきありがとうございます。現在は臨月なのであともう少し!といったところ。
最近よく言われるのが「いまが一番いいんだから、これからが大変なのよ」というお言葉。
※とくに年配の方から言われる。
超苦手な価値観だと気付きました。
経験者視点のお言葉、嬉しく有難くは思っています。ただ、地獄へのカウントダウンみたいに言うのやめぃ!っていう。
一歩踏み出そうとしてる人に、そんなお先真っ暗みたいなこと言わないで。大変なのは分かってるし、大変だなあっていうのは自分の塩梅で決めさせてほしい。いまより身体が動ける時の方が良かったから、そもそも前提条件が間違ってます。と心の中で唱えています。南無。
と、まあ色々な葛藤がこの1年ありまして、自分で乗り込んでおきながら人生がジェットコースターみたいでした。最近はとても穏やかな気持ちで本とか読めてます。
まずはお腹に宿る人類を安全に産むことに専念し、年内には自分の精神衛生のためにも写真を復活させるぞという気持ちです。
はーどきどきするぞ!!!!
それでは皆さまも体調にはお気をつけて、
またお会いしましょう◯