「成功体験」からの脱却
「自己肯定感をあげるには、成功体験を積めばいいんだよ。」
就職活動に焦りはじめた大学2年生の頃、就活攻略にやたら才のある先輩から言われた台詞だ。
当時、私は自己肯定感がモーレツに低かった。大学のモチベーションは入試でとっくに使い果たし、勉強は中途半端。大事な新歓時期にサークルに入るタイミングを逃し、夢中になれる趣味もなかった。将来なりたい職業も、入りたい会社も分からない。そんな自分がたいそう情けなかった。私は分かりやすく自信を失っていた。
先輩は言う。「とりあえず長期インターンでもはじめてみなよ。インターン経験は就活で有利になるし、何より、仕事で成果を出せば自信になる。君には『成功体験』が足りない。」
たしかにそうだな。何の抵抗もなく提案を受け入れた私は、Web系のスタートアップでインターンをはじめた。運が良いことに、インターンとして携わったWebライティングの仕事は当時の私とマッチしたようで、比較的はやい段階で「成功体験」はやってきた。
編集の社員さんたちに自分が書いた記事を褒められる。担当メディアでPVが一番になる。月間MVPなるものに選ばれる。
今はいろんな事情を含んだ甘々評価だとわかるが、当時は単純にうれしくて、仕事に対するモチベーションがぐんと上がった。総合的に、失った自信もいくらか取り戻せたように思った。
プラマイ・ゼロの自己肯定感
それから私は、別のインターン先でも、就職した企業でも、「成功体験」を求めるようになった。組織には数字という評価指標があって、分かりやすく自分の価値を測りやすい。
気づけば誰かから成功体験の称号をもらうことが、人生の最優先事項になっていた。
でも、人から与えられる成功体験の賞味期限は短い。褒められたと思った次の瞬間怒られたり、求められる成果が出せなかったりすると、それまで得た成功体験のカケラが手からぼろぼろとこぼれていく。
気がつけば「成功体験」という言葉が苦手になった。仕事の経験が人生を豊かにしたことは間違いなくて、その点、助言をくれた先輩には感謝の気持ちでいっぱいだ。でも、誰かに評価されるということは常に他人が決めた高さのハードルを超える必要があって、自分がやりたいのかどうかもわからない「すごいこと」を成し遂げなければいけないようだった。プレッシャーとストレスだけが増えていった。
「小さなジャンプ」の積み重ねが自信をつくる
私の中で「成功体験」の定義が、去年あたりから変わりはじめた。社会人半ばで突然デンマークの学校に行くことを決め、生活環境がガラリと一変。新しく踏み入れた土地やコミュニティでは、目に飛び込む景色、耳に入る情報、体験できることすべてがはじめてだった。
日本と全く違うシステムの電車に乗ること、カフェでどきどきしながら注文するコーヒー、知らない人との英語コミュニケーション、新しい友だちを作ること。
毎日、種類のちがう小さなチャレンジを繰り返した。自分の身長を超えるくらいの高さのハードルに遭遇して、ぴょんとジャンプする感覚。進む歩幅は小さいかもしれない。でも雪のようにしんしんと、静かに、確実に自信が降り積もっていった。
「またひとつ、できることが増えた」
自分の投稿が誰かに「いいね!」されるのも、昨年比120%の売り上げを達成するのも素晴らしいことだ。けれど、長い人生自分を支えてくれる本物の自信は、たいそれた「成功体験」なんぞではなく、自分で設定した小さなハードルを一つひとつ乗り越えたその先に作られていくものなんだと、今は思う。