演じ、演じられることで癒される
傷ついたあの時、本当は何と言ってほしかったのか、頭で理解するまでには案外時間がかかる。別れ、侮辱、相手は何気なく放ったけれど棘のように抜けない一言。傷ついた時はいつも、その傷を埋めようと他の予定で忙しくしたり、話を聞いてもらったりするけれど、なんだか根本治癒にはなっていない気がしていた。
曖昧なまま、傷から出る負のエネルギーを持て余す日々が続いた。しかしその時は突然やってくる。自分が傷ついたシチュエーションを他者が体験している、その瞬間にたまたまでくわしたのだ。私は私がその場に存在することが居た堪れなくなった。しばらくの沈黙のあとに、ついに声が出た。「あなたの個性は必要なピース。それを尊重してほしい」
それは過去の自分へのメッセージでもあった。私があの時、かけて欲しかった言葉。あの場に居て欲しかった第三者。過去の私を誰かが演じ、私もまた誰かを演じた。でもそれが不思議と、「許し」の感覚につながっていった。過去の自分と相手。お互いがきっと傷ついていて、傷つけ合っていた。もう、傷つけなくていい。自分のなかにあった過去への執着が、するすると解けていった。
そういえば。このようなことは少し前にもあった。デンマークの学校で受けた「Personal Leadership」という授業に取り入れられていた演劇のクラス。「過去もっとも怒りを覚えたできごとを思い出して、そのシチュエーションを再演しよう」というものだった。演じることで、他者に共感し、他者の視点で「もう一つの選択肢」を得るという趣旨だったと思う。下手をしたら辛いトラウマを思い出してしまう可能性もあるが、生徒と先生の信頼関係があってのことだったし、共有したくないことはしなくていいと言われ、判断は各々に委ねられていた。
私は過去の恋人に関心を持ってもらえなくなった時のことを思い出していた。そして、彼との別れのシーンをクラスメイトと再演することになったのだ。私が彼の役割を演じ、クラスメイトが私の役割を演じた。最初は嫌な気分だったが、クラスメイトの演じる「私」をみて、「こういう対処の仕方があるのか」と関心したり、私が「彼」を演じてみて「彼ももっとこうしてほしかったのかも」と思ったりしながら、次第に過去の傷が癒やされていく感覚を得た。
私自身が演じることで他者の靴を履き、心を寄せることができたのかもしれない。さらには自分の目の前で起きていた出来ごとを他者が演じることで、客観的に状況を理解し、執着を手放せたのかもしれない。いずれにしても、演じることのパワーはすごい。
ちょっと趣旨は違うけれど、近々こんなイベントをやります。演じることの効用を、チームビルディングやより安心安全な関係性をつくることに活かそうという試みです。現役の役者さんから演じることの意味や、日常生活・職場での活かし方を教えてもらえるので、より身近な例で演じることの可能性を感じてもらえると思います。ぜひに。