私が鏡をふく理由
曇った汚れのついた洗面台の三面鏡に、私は急に水をかけ、拭いてゆく。私が1番長く鏡の前に立つからか、歯磨きをする時も私だけ鏡の目の前で磨き よく歯磨き粉を飛ばすからか。汚れた鏡を、時たまに拭き始める。
濡らしたスポンジに少しだけハンドソープをのせて、目の前の鏡に滑らせてゆく。もう一度湿ったスポンジで泡を消し、ただ適当にタオルで吹いていく。毎度少し感心するくらいの磨かれた鏡に、みんなは気づかないだろうな、そんなことを思って気分良さげにその場を離れる。
それぞれが得意とするものに、役割なんか決めることなくて、みんながみんなのために やっておこうとやれば、そこに自然と心地のいい空間が生まれる。
母は、いつも誰に言われずとも、自分の持つ家、私たちの家を掃除する。細かなことでも、張り切ってしてくれた時は、よく私達に「気づいた?あそこ掃除したの」そう自慢してくれる。この家が清潔である理由は、母の存在あってのものだな と。そしてそういうものは、自分が真似して初めて知れることの出来る事実である。
(といってもたかが鏡を拭いただけだが…)
別に母が好きでやっていることだったとしても、好きでやっていることならやらしておけばいい。という話でもないように思えるから。ならどうするか。私ができることをしよう。
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