「自分らしさ」は探すものでも、見つけるものでも無い。
「自分らしく生きよう」
私はこの言葉が嫌いだった。
それは内気の私の性格そのものを否定されてるみたいで。
なんでもかんでもオープンだったらそれが個性認定されるのはなんだか気に食わない。
周りから見て、すごくよく気の使う人がいたとして、そんな人に対して「もっと周りを気にせず自分らしくいこう!」とでも言われたら、私はすかさずそいつにビンタをかましたいぐらいだ。
反対に周りから見てほとんど周りの目を気にしないような人がいたとする。私がその人に「もっと周りの目を気にするべきだ」とでも言えば、今度は私がビンタされるんだろうか。
世間の言う「自分らしさ」は、世間に都合のいい個性だ。
そこには例えば 陽気さ、面白さ?
世間から都合の良くない個性なんて、閉まっておくよりほかない。
少なくとも前の私はそう思っていた。
でもここ最近、そんな私から変化していることに、遅れて気づいたのだ。
私が隠しておくべきだと思っていた個性が、案外周りに受けたのだ。
本当にこれには驚いたけど、確かに少し気が楽になった感覚がどこかにあったのだ。
具体的にその個性のひとつをあげるなら、「口が悪い」ところだ。
別に暴言を吐きまくるとかではなくて、単にトーンというか、毒舌なんだと思う。
柔らげた話し方よりも、家にいる時のように話した方が、単に話しやすい。
それに意外にもこちらの方が好感をもたれたのは幸運なこと。
これから分かったことは、「自分らしさを出す」ということは、何も自分勝手に振る舞うことでは全くないということ。
相手と自分とを思いやった上で、そこに「自分らしさ」がついてまわるだけなんだと思う。
だから間違っても「自分らしさ」を探す旅になど出ないではもらいたい。
どんなあなたもあなたには変わりなくて、それが周りを受け入れるか受け入れないかは誰も予想できないこと。
それなら思いきって、あなたの好きなあなたを提案してみてよ。
この私に誓って。