人生の舵を取れ
先日、私はある後輩に怒られた。
「それが本当に先輩が心からしたいことですか?」
一緒に立ち上げた(とは言っても私はまだ身分的に正式に加入できてないのだけど)会社で私が為すべきこと、やるべきことをつらつらと語ったのだが、見事に看破されてしまった。
社会人6年生ともなると、息をするように都合のいい「正解」を吐き出せるようになっているようだ。そんな自分に嫌気がさした。
それと同時に、自分がなりたくなかったはずのものにどんどん近づいている、そんなおぞましさともうずっと隣り合わせだったのか、とふと気がついて戦慄した。
社会教の教えと呪縛と優等生
この社会は「正解」しか教えてくれないし、その「正解」も社会教という宗教が作り出した答えに過ぎない。本当の答えというのは、ひとつではなく、個々人の心の底にある、そういうものだと私は思う。
30年近く生きてきた中で、私はずっと優等生だった。優等生だから社会の求める「答え」や「正解」を理解しているし、その探り方も知っている。だけど、だからこそ、私は私自身の中にある「答え」が見えなくなってしまった。
私の思想は、誰かの、この社会の「答え」をはじき出すための計算式で埋め尽くされて、いつからか、ほんとうの私の声は聴こえなくなっていた。
社会人になってからはその呪縛が加速した。
職場では「こう振る舞うこと」が正解。
上司には「こう接すること」が正解。
様々な正解ポイントを稼ぐうちに、いつしか優等生なはずの私の心は壊れかけていた。いや、優等生だからこそ壊れ始めたのだと思う。
「子」という役割でさえ、完璧に、社会の理想像のような子どもを演じていた私は、完全に自分の自由意志を手放していた。
否、自分の意思ではなく誰かの意思で動いている自覚すらなかったと言っても過言では無い。
だからこそ、誰かの声と自分の声を切り離して、ちゃんと聴こえるようにするために、私はひとり暮らしを始めた。
ひとりで暮らすということは、自分自身の選択が増えるということだ。今日食べるものひとつとっても全て自分の意思で決められる。
何かと人に合わせる癖が身についていた私にとって、全てひとりで決めるというのはとても新鮮で、とても楽しくて、そしてとても難しいことだった。
私は自分の声を聴く練習として、ひとり暮らしを始めた。
千葉高アカデメイア
ちょうどひとり暮らしを始めたころ、とある高校の後輩が面白いことを始めようとしていた。何を思ったか、たまたまnoteで母校名を検索にかけたところ、彼の記事が目に止まった。
「自由を手放した千葉高生へ」というタイトルのそれは、高校を卒業してから人生に、仕事に、そして自分に草臥れきって目に光を失っていた私にとってはオアシスのように見えた。
記事を読んでみるとまあ驚いたのが、この記事を書いたのは高校の時の部活の直属の後輩だった。さらに彼も私と同じような境遇で、そして何やら面白そうなものを立ち上げようとしているということで、すぐに連絡をとった。
しばらくして「千葉高アカデメイア」という同窓生コミュニティが立ち上がり、私は新たな、けれども懐かしいコミュニティの仲間となった。
ほどなくして私の生き苦しさは、自ら「自由」を放棄したことによるものから来ていることに気がついた。
高校時代、ずっと何かに守られているような気がしていたのは、どうやら間違いではなかったようだ。
元々ずっと入りたくて入った高校で、3年間大変密度の濃い時間を過ごした私は、卒業してからというものの、もぬけの殻のようになり、生ける屍のような存在になっていた。
卒業してそのまま死んでしまえばよかった、そんな風にさえ思っていた。
千葉高アカデメイアができてからというものの、様々な年代の千葉高生と話す中で、私の心は少しずつ息を吹き返してきている。
そして、大人になってすっかり社会教に染まりかけていた私は、再び大切なことに気がつく。
今の仕事はお世辞にも私がいなければ回らないとか、そんなことは微塵もなくて、というか世の中の仕事の大半はそうだと思うのだけど、でも、私にしかできないことは絶対どこかにあるはずだよなとも思っている。
職場の同僚とたまに仕事の話をするのだけど、皆は決まって「決められたことをやってる方が楽じゃないですか?」と言う。
アイデアを出したり、自分で色々考えたりする仕事はしたくない、と同僚の女性は話していた。
私の隣の席の後輩くんは「私は別に現状維持でいいんですよ。もっと良くしたいとか解決したいとかそういうのがないんです。だから九条さんは賢いし、向上心がすごいんす。」と言いながら、昼休みは無心でツムツムをしている。
彼の素早くスマホをなぞる指の動きを横目に、私はいつもどこか遠くに意識を飛ばしている。
窓の外の光が眩しい。そういや、以前職場のことを監獄みたいだなって思っていたっけ。
外がどんなに晴れていても、拘束時間内は勝手にお散歩しちゃダメだしね。そこに自由意志なんてないのだ。だからこそ、外の光は二重の意味で眩しい。
とはいっても、職場の同僚たちを批判するつもりは毛頭ない。彼ら彼女らが好きだし、私は本当に職場の人たちに良くしてもらっている。
転職理由No.1とされる人間関係はめちゃくちゃ良好で、ありがたいことに本当に私は人に恵まれている。
話を元に戻すと、要するに彼らはこの環境にうまく適応できているのである。
私は折に触れて『適材適所』と思っているが、まさにうまく適応できている彼らは適材適所を実現していると思う。
私が適応障害を起こしている傍らで、皆あんなに大変な仕事をひょいひょいっとこなしてしまう。
電話ひとつとっても私にとっては大変苦痛なのに、後輩くんはそれが得意で何も苦じゃないというのだから、適材適所論は本当にあるのだなと思う。
得意な人には本当に叶わない。
ある意味とても羨ましい。ずっと割り切れない私は、まるで自分が子どもみたいだ、そんな風に感じていた。
私、やっぱりここにいるべきではないのだな。
最近改めてそう思った。
ノアの方舟
千葉高アカデメイアの起業部で立ち上げた合同会社Stldea。
私は起業部の一員だが、公務員という身分上、現在は支援者(サポート)の立場に留まっており、Stldeaには正式所属はしていない。
ただ、このStldeaでしかできないことがある。私が成し遂げなければならないことがある、そう思うのだ。
個人的にStldeaは「ノアの方舟」のような存在であってほしい。
世界がどんなに崩壊してしまっても、大事なものを忘れずに、なくさずに、それを新しい世界へと繋いでいける、そんなノアの方舟のような存在であってほしい。
私はこの日本という国が大好きだけれども、悲しいことに未来は暗澹としているし、いつ他の国に取って代わられてしまうかもわからない危機的な状況だと思う。
でも、私は日本を捨てて海外に行く気なんてさらさらないし、できればなんとかしたいと思っている。
将来自分の子どもを産んだ時に、子どもを不安にさせるような社会のままは嫌だな、はっきりとそう思う。
大袈裟だし荒唐無稽なことを言っていると自分でも思うけど、それでも「そうしたい」と思ったのなら、その信条に従って動くべきだと私は思う。
ひとりではできないことでも、誰かがいれば成し遂げられる。このクソデカ社会に何かしら一矢報いることができれば。何かしら変わるんじゃないかしら。
そんな希望的観測を持ち始めた私は、ようやく前向きに退職を検討できるような気がしている。
高校時代、現代文の先生が言っていた。
んな大袈裟な。
聞いた時は大真面目にそう思っていた。
でも今は大袈裟ではないんだなと思える。各界に同窓生たちはいるし、様々な活躍を見せている。それに歴史ある学校なので、先輩方も偉大な方が多いのは事実だ。
このめちゃくちゃ有能な人的ネットワークを活用しないでどうするんだ!と少し前の私は思っていたが、後輩がサッと現れサッと実現してくれた。彼には本当に感謝している。
結局答えはでない
けども、私なりに進むべき道筋は見えたかな、と思う。というか公務員を辞めることは確定はしている、けどいつ辞めるかはまた別の問題。(すぐ問題を先延ばしにする~!)
私の尊敬する大好きな執筆屋あんちゃさんもこう言っている。
この言葉を肝に銘じて、1日1日を大事に生きていきたい。
ほんとーーに臆病で、決断が苦手で、覚悟も決められないような私だけど、最近少し未来が明るく見えてきた。
だってちょっと前までは毎日楽しいなんて思わなかったもん。
だからきっと大丈夫。
少しずつ少しずつ、亀のような速度でも事は進んでいる。私の足も進んではいる。
この文章は、決意表明というにはしょぼすぎるし、かといって胸のモヤモヤを抱えたまま毎日を送るのは勿体ない気がして吐き出したものだ。
推敲もしていないし、ノリと勢いに任せて書いた駄文なので読みづらくて申し訳ないです。
でも久しぶりに文章書ききれた…!達成感がある!うれぴー!
というわけでここでカッコよく締めくくっておきます。笑
諦めずに、自分で人生の舵を取れ。