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返信

命題「溜まったLINEの返信は面倒くさい」

これは真だ。紛れもない事実だ。
スマホの普及によって今まで以上に遠く離れた人と連絡をとりやすくなった一方で、通知は昼夜を問わず来るようになってしまった。
後で返そうと思っていたら数十件溜まっていた、なんてことも珍しくないだろう。そして返信することがさらに億劫になる。
バイト終わりに数時間ぶりにスマホを見たら、LINEの通知が溜まっていてうんざりしたことがある人も多いだろう。いくら仲の良い友人からのLINEとはいえ、溜まってしまったら返信が面倒くさくなるものだ。



ということは…
対偶「面倒くさくないLINEの返信は溜まらない」

これも数学的に考えたら真になるはずだ。
人によるだろうが、心の底から楽しいと思える会話なら、すぐに返信するだろう。通知に気づいたときにその都度返信すれば溜まることはほぼない。
そもそも、余程忙しいときは話は別かもしれないが、その場で返信しないということは、心のどこかに面倒くさいという気持ちがあるのではないか。
よって真であるといってよいだろう。


では、これはどうだろうか
逆「面倒くさいLINEの返信は溜まる」

これも真だと思う。むしろ、“溜まっているから面倒くさいのか、面倒くさいから溜まっているのか”を考えていたら分からなくなってきた。そもそも仕事の連絡も、溜まらなければ面倒くさくないのではないか…?
考えれば考えるほど分からなくなってくる。これ以上考えると思考に収集がつかなくなってパンドラの箱を開けてしまいそうなので、やめておこう。


裏「溜まらないLINEの返信は面倒くさくない」

これは…真じゃないような…
LINEの通知が溜まらないということは、面倒くさいけど後回しにしないで返信しているということでもある気がする。通知が溜まっていないからと言って、必ずしも面倒くさいと思っていないという訳ではないと思う。
よって偽である。

しかし、ここでひとつ問題が生じてしまった。
逆と裏は対偶の関係なので、真偽が異なってしまったことは数学的に考えるとおかしい。

うーむどうしたものか。何かいい考え方はないだろうか。
しばらく考えてみたがいい解決法が思いつかなかったため、友人に聞いてみた。すると、このような返答が返ってきた。


「人の心理を数学的に割り切ろうとするな」

………ごもっともである。

結局、数学は物事を考えるためのひとつの手段でしかなく、世の中の事象の全てを説明することはできないみたいだ。

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