辛いを幸いと書いた日
新型コロナウイルス(Covid-19)が私たちの生活を大きく変えてから一年以上が経ちました。
感染して亡くなってしまった著名人のニュースが流れる度に、不安が押し寄せてくるだけでなく、自殺してしまう芸能人のニュースも目立ちました。
当時、この非日常的な事態をスケジュール帳に書き記していましたが、毎月のように亡くなった方の訃報を聞くとこちらも気が滅入ってしまいました。
ある月に、著名人の自殺の報道を耳にした時、また何気なくスケジュール帳に書き記そうとしたと同時に、なんだか羨ましい気持ちが湧いてきたのです。
いいなぁ、苦しみから解放されて...
そう思いながら、スケジュール報道があった人の名前を書き、その下に「私も死にたい、辛い」と書き込んだつもりでした。
ふと、よく見ると「辛い」が「幸い」と書いてしまっていることに気づきました。
Covid-19の脅威に不安が募る毎日で、私も死にたい気持ちが溢れていました。そのうえ病気の家族優先の生活で、夫婦生活は愚か自分らしい生活ができなくなっていて、いっそ私も感染して死んでしまいたい、苦しくてもいいから死にたいと、生きている辛さから「死」にすがろうとしていました。
そんな中での誤字であったが、思わず自分自身で「いやいや、どっちなんだよ!」とツッコミを入れてしまいました。
そして、無表情の自分の顔が少し綻んだと同時に、自分の心を客観視できたような気がしました。本当に辛くて死にたいのじゃない、ただ幸せに生きたいのだと。ならば、なんでもいい、幸せを感じることを考えなければと思いました。
自分らしい生活は守られていなくても、外に出てお気に入りの店に行く、その場の勢いで買い物をしてみる。そうしているうちに、死にすがりたい想いは薄れていきました。
きっかけは非常にくだらないものだったが、生きることへ意識を変えてくれた誤字に、少しだけ感謝しました。
今でも、まだまだ自分の幸せを選択してあげられずに辛い思いを抱えてしまうことがあります。その度に死にたくなります。何度もおなじ失敗をしているようで、自己嫌悪にもなります。
神様なんていないのかもしれない、私はいなくてもいいと思います。でも、神様のような、別の何かが、いつも私の死にたい気持ちを保留にするきっかけを連れてきてくれている気もするのです。
神様的な何かが、何度きっかけを与えてくれても、また元に戻ってしまう自分は人としてダメなのかもしれません。
けれども、こんなダメな自分にいつまでも付き合ってくれています。
小さい頃から何度も死にたくなってはきっかけを連れてきてくれていた、もう何十年の付き合いだ、神様的な何かも「ハイハイ、いつものやつね」程度のノリで救ってくれているだけかもしれません。
ダメな私たちをいつまでも気づかせてくれる。そんな神様的な何かが、貴方のそばにもいないでしょうか。