宇宙に思いを馳せて、何とか生きていく話
生きていると、絶望することがある。
もう、考え出したらキリがない。
低収入平社員おじさんである僕は、1年の1/4くらいは絶望の淵に立たされているのではないだろうか。
これらのほとんどは、「起きてもいない未来」を勝手に予想して、勝手に絶望しているだけだ。
なるべく「今」を生きるようにしているものの、それでも僕の脳みそというのはネガティブに偏る癖がついているようで、気づけば未来のことを考えて、絶望してしまうのである。
とはいえ、僕はネガティブに寄って行ってしまう割には、同時に
と、心を持ち直すこともできている。
どうやら、ネガティブ界ではポジティブ側にいるらしい。
それはたぶん、
宇宙に思いを馳せる
ことで、何とか絶望を中和することができているからだ。
宗教とかそういう類ではなくて、本当にそうやって心を保っているのである。
つまりは、こういうことだ。
以前、最寄り駅から数駅手前で降りて、歩いて帰ってみたことがある。
それはそれは遠くて、歩くと決断したことを途中で後悔するくらい、果てしなく感じたものだ。
それでも、その距離を日本地図の縮尺で見たら、そんなのは誤差の範囲で、動いていないのと一緒だろう。
日本って大きいのだ。
でも、その日本だって、地球全体から見たら豆みたいなものだ。
日本が地球に占める割合は、0.3%くらいしかないらしい。どれだけ地球は大きいんだという話である。
でもでも、その地球だって、太陽の直径と比べると100分の1くらいしかない。
太陽がリンゴくらいの大きさだとしたら、地球は1ミリにしかならない
のだという。
ただ、そんな巨大な太陽だって、銀河系の超端っこに位置する一つの星でしかない。
「その他大勢」扱いの、ありふれた星
なのだ。
ちなみに、この銀河系には、約2000億個の星があるらしい。
「全宇宙」ではない。
「この銀河」だけで、2000億個だ。
それでもって、この宇宙には別の銀河が、
2兆個
あるという話だ。
2兆である。
みたいに、芸人しか使わないような単位である。
しかも、「星が」ではなく、
「銀河が」2兆個
なのだ。
「どうせみんなわかんないだろうから」と適当なことを言っているのではないかと、僕はちょっとNASAを疑っている。
そして、今確認されている星の中で一番大きい星は、
直径だけで太陽の2000倍以上ある
という。
もしもその星が太陽の位置にあったら、直径だけで土星の位置まで達するから、地球は飲みこまれて跡形も残らないんだってさ(もう投げやり)。
そしてそして、今確認されている星の中で
「一番遠い星」は、
約280億光年
離れているんだそうで。
光の速さで1年かかる距離が「1光年」なので、
光速で移動しても280億年かかる距離
である。
ということは、仮にその星を肉眼で見ることができたとしても、その光は280億年前のものであるわけなので、
この星は現時点ではもう存在しない可能性が高い。
(大きさにもよるけれど、星の寿命はだいたい100億年くらいらしい)
この星だけでなく、普段僕らが肉眼で見ている星の多くも、何百光年、何千光年と離れている。
だから、今見ている星は、実はもうすでに無くなっている可能性があるのだ。
平安時代とか鎌倉時代の光が、今やっと地球に届いているわけである。
さてさて、そんな宇宙の僻地にある、「地球」という粒子みたいな塊の中に、日本という埃以下の地面がある。
その中で、たかだか数十年しか生きない僕が
「会社」とかいう建物の中でどう思われているとか
上司に嫌われたとか
仕事がつまんないとか
将来のお金の不安とか
それがいったい何だっていうのだろう。
塵みたいな僕がどうなったところで、全く何にもならん。
塵は塵なりに、朗らかに生きていけばいいのだ。
まあ、だからと言って、
とは思ってはいけない。
「正しい方向に開き直る」のだ。
という人もいるだろう。
僕自身も、「いくら宇宙が広かろうと、自分の状況は変わらんし」と思うときもあるし、めちゃくちゃ小さいことで毎日のようにイライラしている。
ただ、それぞれが感じる絶望やストレスを、それぞれの方法で何とかしていくしかないのだ。
そして、僕の場合は、ひとしきりモヤモヤイライラした後に、こうやって考えることでやり過ごせる場合が多いというだけである。
絶望は、乗り越えることはできない。
望みが絶たれると書いて絶望だ。
でも、
それを抱えたまま生きて、別の希望を見つけることはできる
と思っている。
宇宙規模で考えて絶望を中和し、希望を見つけた時には自分が宇宙の中心にいるかのように喜ぶ。
そうやって僕は絶望から生還し、またちょっと経つと別の絶望の淵にいる。
その繰り返しで、これからもずっと生きていくのである。
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