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魅惑の無駄 ⇑くだらないエッセイ⇑

 ばかばかしいこと、くだらないこと、価値のないこと。これらを一般的に「無駄なこと」という。「無駄」は私の心を惹きつけ、私の心をかき乱し、私の理性を失わせる。

 私は滅多に他のクリエイターを評しないが、このnoteには、私以上に素晴らしく無駄なことを書いている人がいる。リスペクトするクリエイター「ぜんけい」さんの記事をぜひ読んでみてほしい。その独特のぜんけいワールドに魅了されること間違いなしだ。ぜんけいさんは、いったいどのようにして、このような無駄なことを思いつくのか、私はそれが知りたい。


 「無駄」の語源には諸説あるが、「空しい」が転じて「むな」「むだ」となったと言われている。
 他にも、こんな俗説がある。
 むかし、馬に荷物を背負わせて運ぶ商売があった。この荷物の事を「駄」という。「駄」を背負わせずに馬を歩かせることを「無駄」という。つまり無駄とは、商売にならなくて価値のないことである。という説だ。

 この説に従えば、私のエッセイは無駄なもの、すなわち、商売にならなくて価値のないものということになる。
 ところが、『無駄のすすめ』という面白い記事があり、とある紙コップ用の木製の取手についてこんなことが書かれている。

 「飲み物を飲む」ということに関しては紙コップがあれば事足りる。だから取っ手は無駄なものである。ところが、「飲み物を飲む」ことに必要な紙コップは、競合他社が参戦してくるので1円もしないくらいの価格になるのに、取っ手は1,800円もする。無駄なものには競合他社が参戦してこないからだ。つまり、必要なものは値段が下がり、無駄なものは値段が下がらないのだという。

 この記事のポイントは、無駄なものは値段が「下がらない」という部分だ。私のエッセイのように、もともと値段がつかないような無駄なものは0円なのだから下がり様がない。そのことよりもむしろ、無駄なものに1,800円という値付けをして市場に問うた点に敬意を表したい。
 仮に私のエッセイを1作品1,800円と値付けして、100作品を1冊にまとめてみると、1冊の価格は180,000円になる。競合は居ないはずだから、100部売れれば18,000,000円の売上になるという魂胆だが、これを市場に問うてみる勇気は、私には無い。

 私のくだらないエッセイは、世の中から見ると無駄なものである。おそらく商品価値は無い。それでも、「無駄」は私の心を惹きつけ、私の心をかき乱し、私の理性を失わせる。私は書き手としての衝動を抑えきれなくなり、またもや、このようなくだらないエッセイを書いてしまうのである。


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