葛藤を書く ⇑くだらないエッセイ⇑
物書きにはやはり、葛藤がなければならない。書きたいのに書けない。書けないのに書きたい。そういう葛藤が必要だ。
書き手の心の葛藤だけではなく、書く内容にも葛藤がなければならない。
小説でいうと、たとえば、宝の地図を見つけた少年が宝探しの冒険に出る。何の困難も無く宝を探し当てて帰ってくる。めでたしめでたし。こんな葛藤のない小説など何の面白みもない。宝を探し求めるライバルが出現して先を争ったり、途中で盗賊に殺されそうになったりするからこそ、読み手はドキドキワクワクして先を読みたくなる。
エッセイの場合はどうだろうか。私の場合は、心の中に浮かんでは消えていくくだらないことを『くだらないエッセイ』として書いているのだが、ただ単につらつらと書いているわけではない。理想は、マクラがあり、本題があり、あまり上手くはないがオチで締める(落とせない場合もあるが)。読み手には、できれば最後まで読んでもらえるように工夫をしてみる。最も頭を悩ませるのはテーマ選びだ。信じてもらえないかもしれないが、私にも書き手としての葛藤はあるのだ。
私はこんなふうに創作している。
たとえば、『犬も歩けば棒に当たる』ということわざをテーマにしたとする。このことわざの意味は、
『犬が調子に乗ってウロウロしていたら、人間に棒で殴られた』
なのだが、本当に棒で殴られてしまうと、読み手は「自分も調子に乗らないように気を付けよう」などと思ってしまう。つまり、読み手にとっての教訓や戒めが生まれてしまうのだ。これでは全然くだらなくない。
『腹を空かせた間抜けな隣家の飼い犬、シロが、何か食い物は落ちていないかと鼻を地面に向けてクンクン鳴らしながら歩いておりますと、道の真ん中に棒が一本ニョッキリ生えておりまして、なんと、シロはその棒に頭をぶつけてしまったのでございます』
であれば、読み手は「そんなことあるかい?」となり、つい先を読んでみたくなる。なぜか最後まで読んでしまって、「まったく、くだらねえ」という読後感を持ってもらう。このあたりの加減が難しい。
この「くだらなさ」が癖になってしまった読み手は、なかなかに手ごわい。少々の「くだらなさ」では満足してもらえないからだ。そういう葛藤が私にはある。
そうそう、言い忘れていたんだけどね、
『シロは間抜けなだけじゃない。尾も白い(面白い)犬だよ』