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くだらないエッセイ

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心の中に浮かんでは消えていくくだらないことを、とりとめもなく書きつけてみた。
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#エッセイ部門

落語で考える 文系か?理系か? ⇑くだらないエッセイ⇑

 今回はこの、いろんなところで、あーだこーだ、と論争される「文系か? 理系か?」問題につ…

noteと神社は似ている ⇑くだらないエッセイ⇑

 noteにアクセスすることは、神社へ参拝することに似ている。  「出版社や編集者の目に留ま…

葛藤を書く ⇑くだらないエッセイ⇑

 物書きにはやはり、葛藤がなければならない。書きたいのに書けない。書けないのに書きたい。…

ばかばかしいにもほどがある! ⇑くだらないエッセイ⇑

 知人のクリエーターがオススメしてくれた映画『シャークネード』を観た。まさに、「くだらな…

これは気になる ⇑くだらないエッセイ⇑

 これはくだらなさすぎると、自分で書いていて思う。  「冷やし中華まん」ときた。しかも、…

羽衣は風まかせ ⇑くだらないエッセイ⇑

 昔から私の興味を惹きつけてやまないもののひとつが『天女の羽衣』だ。いつもばかばかしく、…

転職希望の人は、すぐに、学びだの、成長だの、変容だのと、軽く言う ⇑くだらないエッセイ⇑

 「ここにいても学びが無いし、成長できないかもしれない」 そう見極めて転職するのはまあいい。だが、学びだの、成長だの、変容だのと、軽く言っちゃいけない。私はそう思う。  そもそも、そういうことを軽く言う人たちは「成長」というものをどのように考えているのだろうか。私が勝手に尊敬している内田樹(神戸女学院大学名誉教授、武道家、思想家)先生は、ご自身のブログでこんなことを仰っている。 『知的成長ということを現代人はたぶん「知識の量的増大」というふうに考えている。人間としては何も

土産話を盛る ⇑くだらないエッセイ⇑

 義父母が北海道旅行から帰って来た。両手では抱えきれないぐらいたくさんの土産「話」を携え…

そこに価値はあるんか? ⇑くだらないエッセイ⇑

 こうやって性懲りもなく、くだらないエッセイ(随筆)を書いていると、こんな声が聞こえてく…

退職願を文学的に書く ⇑くだらないエッセイ⇑

 最近は「退職代行サービス」というのがあるらしい。まあ、会社の上司や人事担当者との、退職…

プロフィールの顔写真 ⇑くだらないエッセイ⇑

 自身のブログやnoteのプロフィールに顔写真を掲載するとき、誰しも、どんなイメージにしよう…

本は読むためにあるという誤解 ⇑くだらないエッセイ⇑

 何年か前にテレビのワイドショーで、「出版不況のために街から本屋が無くなる」というテーマ…

ぶつけた足の小指を放置するといつまで痛いのか? ⇑くだらないエッセイ⇑

 机の脚やドアの角などに足の小指をぶつけるとかなり痛い。ぶつけた瞬間の激痛はいうまでもな…