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産んだ人、産まなかった人


16歳の時に出会った親友は、子どもを産まない人生を選んだ。


私は20歳の時に、予定外の妊娠で子どもを産む人生を選んだ。


それは、人生のそれぞれの選択であり、互いに悩み、苦しみ、辛さも喜びも比較できない。


子どもをほしいってことは、あった?と東京の横断歩道で信号待ちをしている時に聞いた。


30代まではあったよ。パートナーがどうこうより、子どもは興味があったよ。


ただ40代を迎えてからは、もうこれから自分が産んで育てるという選択は難しいかなって自然に諦めたかな。と言った。


長年会わずにいたが、彼女には定期的にパートナーがいたし、今も付かず離れずの仲良しがいるらしい。


私の子供の話を、口をあんぐりして聞いている。


えっ、そんな大きいの。


えっ、そんなことしてんの。


うん、大人になっちまったよ。もう自分の子供という感覚は薄い私はそう伝える。


私は、彼女の仕事の話をよだれを垂らして聞いている。


若い社員さんを雇用して、共に働き、彼らの夢を後押ししている。


私の息子と同世代の社員さんは、彼女に期待されて、頼られて、育てられている。


彼らの実力より少し負荷をかける課題にトライさせるの。ストレッチをかけるの。


ストレスではなく、ストレッチ。


彼女が彼らを大切にしていることがわかる。


あのね、私、子どもを産んで親になったけど、大事なことはみんな、親じゃない他人が教えて育ててくれたよ。


と彼女に話した。


家庭以外で子どもは育つよ。だから、社会に感謝してる。子ども達を育ててくれたのは、結局、〇〇みたいな誰かなんだよ。


ああ、そうか。そうかもね。自分に置き換えてもそうかもね。


彼女が今、仕事を共にする若い人のお母さんの気持ちで、ありがとうを込めて話した。


私たちは、共に、子どもとは社会の宝であると考えている。


家庭の所有物ではない。親だけに責任があるのではない。


1人の人間であり、尊重され、大切にされ、そして、それを循環する力を養うことが求められる。


産んでも、産まなくてもできること。


それが育てることで、共に生きることだと思う。


選ばなかった方の人生を生きる人が隣にいる。


それは、私たちの距離を遠ざける理由にはならなかった。


選ばなかった人生へのリスペクトはずっとここにある。


あなたみたいな大人がいるから。


あなたみたいな大人がいるなら。


私は子ども達に、行ってらっしゃい、がんばれよ!と手を振ることができる。


産んだ人、産まなかった人。


ありがとう。


私の希望の社会でいつづけてくれて、ありがとう。


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