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ゴジラ映画にディジュリドゥが登場していた!
ちょっと面白いものを発見。
ディジュリドゥ奏者である私にとっては驚きの発見である。
1962年東宝製作の「キングコング対ゴジラ」の1シーン(写真)。
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この中で巨大なる魔神が生息する南海の孤島で先住民たちが魔神の怒りを鎮めるための儀式のシーンに注目である。
このシーンでディジュリドゥのようなものが見受けられる。アフリカの先住民族にも似たような楽器カカキがあるのでカカキの可能性もある。
カカキに関してはディジュリドゥ以上にマイナーなので、最近になってようやく資料的なものがネットで検索できるようになったもののそれ以前はほとんど知られていなかった楽器である。
なのでここはディジュリドゥと考える方が自然。
だとすると、これまた、「ディジュリドゥの受容史」の観点から非常に興味深いことになる。
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1962年当時の日本で製作された映画の中でディジュリドゥらしき楽器が描かれているという意義。
当時の東宝映画の美術担当は北猛夫、安倍輝明である。この美術担当者が如何にこのようなセット組みを考えたのだろうか?この楽器をセットに組み入れようとしたアイディアの発端は何なのだろうか?
今思うのはアイディアを出したのは音楽を担当した伊福部昭本人ではないか?と。
なぜなら、伊福部昭は民族音楽研究所の所長の肩書を持っており、民族音楽についても早くから研究しており、1962年当時の伊福部がディジュリドゥの存在を知っており、美術スタッフに助言を与えたのではないか?と
今となっては証拠は探すのは難しいと思うが、可能性は低くないと考えている。なので私は「伊福部昭下手人説」を推す立場である。
今一度「キンゴジ」のサントラをチェックしてみたがディジュリドゥの音らしき物は確認できないので、この楽器はおそらくハリボテ(小道具)ではないかと思う。
ただ、代わりにこの映画ではコンボオルガンがサントラとして効果的に使われており、この楽器の採用も伊福部の発案であることはほぼ間違いない。
このコンボオルガンの低音域が比較的ディジュリドゥに似ている感じ。
そう考えると、当時の伊福部はディジュリドゥというものを知っており、できればこの楽器を使いたかった。しかし、実物もない以上小道具でごまかすしかないので小道具で代用した。実際の音も入れたかったが、手元に材料がなかったので、少し似た感じのコンボオルガンを採用したというのは考え過ぎだろうか?
↑コンボオルガンの音がビンビンはいっているのがおわかりかと思う。
まず最初に考察せねばならないこと。ディジュリドゥという楽器を初めて世界的に紹介したのはロルフ・ハリス(オーストラリア出身で英国に帰化した作曲家,ディジュリドゥ奏者,ピアニスト,画家,TVホスト)である。
そのロルフが英国で「ディジュリドゥ」という題名の曲を発表したのが1962年。そして、その後ロルフはビートルズのために「悲しきカンガルー」という曲を書いている。
この曲は1964年に日本語版が作られザ・ピーナッツによってカバーされている。
この「悲しきカンガルー」の中ではディジュリドゥは使われていないが、ただ原語版の中に「ディジュリドゥ」という歌詞が出てくる。しかし日本語版に「ディジュリドゥ」の歌詞はない。おそらく日本語訳される時点で「ディジュリドゥ」というものが何なのか理解できないのでオミットされたものと推測する。
どういうことかというと1962年当時の日本でディジュリドゥという楽器も単語すらも知っている日本人はほぼ皆無であったはずなのだ。
それが1962年制作の「キングコング対ゴジラ」の中でまったく言及されていないが、ディジュリドゥと思われる楽器が登場している・・・ということが如何にセンセーショナルなことなのか少しはご理解いただけただろうか?
参考までにディジュリドゥの音を録音として初めて世界にリリースされたのが1948年(チャールズ・マウントフォード)。次にトレーバー・ジョーンズ博士によるArt of Didjeriduがリリースされたのが1963年のこと。このリリースによってディジュリドゥという楽器の存在がクローズアップされるようになる。それまで世界中の人々はディジュリドゥというものを知らなかったわけであり、まして日本ではもっと知られていなかったはずなのだ。そのジョーンズ博士によるリリースよりも1年前に日本で製作された映画にディジュリドゥが小道具として使われていたということになる。
つまり、音楽シーンにおけるディジュリドゥの受容史として、これまでは1982年のケイト・ブッシュによるドリーミングと、チャーリー・マクマーンのゴンドワナランドでディジュリドゥが使われたのが最初。しかし、ドリーミングのミュージックビデオにはディジュリドゥは登場していないし、ディジュリドゥに関する説明もなかった。ゴンドワナランドに関してもそれほどメジャーな存在ともいえず、それほど話題になることもなかった。
多くの音楽ファンがディジュリドゥという楽器を意識したのは1993年のジャミロクワイの登場からではなかろうか?
まとめると音楽シーンにおけるディジュリドゥの受容は1980年代のケイト・ブッシュとゴンドワナランドによりもたらされ、1990年代のジャミロクワイやヨスインディにより一般になった・・。
これが定説となろう。しかし、今回の発見はその定説を覆えす可能性があるということが言えるだろう。
さて、ついでにクラシックの世界に目を移してみる。
クラシックの世界でディジュリドゥが取り入れらた例としては、今のところ最古の記録と思われるのが1972年のジョージ・ドレフュスのディジュリドゥと管楽器による六重奏曲の録音である。
この曲でのディジュリドゥ奏者George Winunguj は西アーネムランドのワンガというスタイルの伝統的スタイルなのである。しかし、実際ワンガではコールやトゥーツは用いられることはないのであるが、この演奏では原則を破りそれらの奏法を駆使している。おそらく伝統的な儀式ではないので禁則を気にせずに演奏していたのであろう。
その次が1975年、ロン・ナゴルツカによるサンクトゥス。その次がたぶんピーター・スカルソープだろう。彼が作品にディジュリドゥを取り入れた最初のものは何か調べてみると1994年の弦楽四重奏第12番だと思われる。クロノスカルテットとデヴィッド・カルターのディジュリドゥによって演奏が行われている。
ついで2001年のフィリップ・グラスによるVOICES FOR ORGAN, DIDGERIDOO AND NARRATOR。こちらのディジュリドゥ奏者はマーク・アトキンス。そして2007年のショーン・オボイルによるディジュリドウ協奏曲。ディジュリドゥ奏者はウィリアム・バートン。
ただロルフ・ハリスが1962年に発表した、その名もズバリ「ディジュリドゥ」という曲もジャンル不明ながら72年のドレフュスよりも82年のドリーミングより10年も20年も先なのでこれはポピュラー音楽で初めてディジュリドゥを取り入れた例として認定してもいいかと思う。
1962年の「キングコング対ゴジラ」の中に登場するディジュリドゥらしき楽器。ロルフ・ハリスの「ディジリュドゥ」と同年であり、ジョーンズ博士の発表よりも1年早く、1972年のジョージ・ドレフュスの六重奏より10年早く、ケイト・ブッシュのドリーミングやゴンドワナランドよりも20年も早いという、この事実。ただただ驚くばかりである。
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