読書感想文|中村文則「逃亡者」再読|1冊の本の値段はあまりに安い
中村文則「逃亡者」読了。
※内容には全く触れない、読書感想文という名の自分語りです※
子供の頃、小説家になりたい、自分の手で物語を書きたい、と思っていた。けれど成人する頃には、それは自分にはできないことだと理解するようになった。
私には、自分の思想や、生活や、家族や、それらに対する考えを、不特定多数に剥き出しにする勇気がない。
物語を書くというのは、世界に対峙する自分の姿勢を、内面を、出力することなのだと、良い(と感じる)小説を読むたびに思う。
政治に対して。社会に対して。家族に対して。それらに向き合う(ときに目をそらす)自分に対して。
私は、どう、考えているのか。感じているのか。
それを、剥き出しに。
そんなこと、できるわけがない。
しかしそれらを隠したままに、小説を書くのは難しいのだろうとも思う。だから、私にはきっと、書くことができない。
子供の頃の私は、自分が大人になったとき、選挙のときに誰に投票したのかを他人に言うことすらできない人間になるとは思っていなかった。これまで何度も選挙があったのに、自分が投票した候補者が当選したという経験が一度もないことも、誰にも言うことができない。
考えてみると、私が内面で大事にあたためているものは、私にとっては外に出すのはとても難しいことばかりだ。精神に病をかかえる母親。彼女をいたわるふりをして本当は憎んでいること。思春期の暗い思い出。殺したい人間がいること。それなのに、相手の顔も思い出せないこと。
自分が死んだあとの世界を想像する頻度。
中村文則さんのような作家は、そういう内面をなぜ、剥き出しにすることができるのだろう。命を切り売りするようなものではないのか。一冊の本の値段は、あまりに安い。
けれど私は、その切り売りされた命をとても安い値段で買って、心の支えにしている。彼らがさらけ出してくれた内面の中に、自分と似たものを感じて安堵する。誰にも言えないことを抱えたまま、今日を無事終えるために。明日もまた、誰にも言わずに生きていくために
書けないから、読む。
世界中の小説家の存在を、本当に、ありがたく思う。彼らのお陰で、薄暗い内面を抱えたままにしておくことができるのだ。