「愛にイナズマ」ちょうど探偵ナイトスクープの神回を観たときの感覚
愛にイナズマを観た。
泣いて笑える
笑って泣ける
そういう作品はいくつかあるけれど、
泣いて笑えて泣ける
笑って泣けて笑える
そんな作品は稀有だ。
わたしの感情を振り回して
ぐちゃぐちゃにしてくれる。
方向感覚を失わせて
ただ生きていることを肯定させてくれる。
(ちょうど探偵ナイトスクープの神回を観たときの感覚によく似ている。
胸の奥に眠る純粋な衝動を引っこ抜かれるような感覚だ)
愛にイナズマはその稀有な作品だと思う。
クソほど最高だった。
俳優陣が皆素晴らしかった。
ベタが全然ベタじゃなかった。
赤い服を着た人たちは全員生きるのが下手だった。
なかでも池松壮亮はやっぱり特別だ。
どうして彼の声はこうも切実なのだろう。
情けなくも力強い。
理路整然とした口調で、呆れるほど感情的。
見栄っ張りでチャーミングな長男に弟妹はちゃんと甘えていた。
この世は納得できないことばかりだ。
辻褄が合わないことばかりだ。
相手の心を簡単に踏みにじる人間が得をして、
純粋な人間ほど傷つくようにできている。
死を証明できなければ携帯の解約すらできないし、
大切な人は卑劣な奴らに侮辱されるし弄ばれる。
父が隠していた大事な過去が明かされる場面でも、
背景に男たちの悪意に満ちた会話が流れるような社会だ。
それでもわたしたちはどうにかして怒りを沈めなければならない。
黙らなければならない。
納得した演技をしなければならない。
そうしないと社会で生きていけないから──。
どうしてこんな悪意が野放しになっているのか。
なぜそんなことが許されるのだろうか。
都合良く"なかったことにされる"。
責任の押し付け合いで社会は歪む。
わたしたちはなんて無力なんだろう。
どうしてこんなに社会は歪んでいるのだろう。
どうして。どうして。
これまで触れないように避けていたもの。
その大事なものにわざわざ触れることで家族が確かめ合ったのは、
不条理に対する抵抗の意志だ。
自分たちの正義の真っ当さだ。
人間を軽視しない心だ。
”囲む”という表現が似合わない食卓でのシーンの数々は、
どれも非常に人間的だった。
"正しさ"とは複雑なのだ。
観ていてすごく楽しかった。
力が湧いてきたし、
自分の中に愛があることを強く感じた。
それはイナズマの衝動だと思っておく。
映画館を出たのが23時ごろ。
秋の夜の澄んだ空気を深く吸って、夜道を2駅分歩いて帰った。