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緑の夢がさめる頃

2024年2月後半の日記です。
写真はその日とあんまり関係ありません。

2月18日 日

昇りのエスカレーターに乗ってる小学生の女の子が、後ろを振り返って友だちの靴紐を結んであげていた。なんて優しいんだろう。

昼はシネマカリテで『テルマ&ルイーズ』を観る。水色の車がかっこよかった。

睡眠不足なこと、結構暖かいのにヒートテックを着てきてしまったこと、昼ご飯に調子に乗ってカツ丼を大盛りにしてしまったこと。以上の三重苦で嫌な汗が額に溜まる。15時ごろに家に帰った。

シャワーを浴びてから、夕方に洗濯をする。風が気持ち良い。

夜は『ゾウの女王 偉大な母の物語』を観る。
ゾウだけでなく、ゾウの生活圏を利用して生存するカメ、カエル、フン虫などにもスポットライトが当てられていておもしろかった。生命の不思議。

天敵のいないゾウですら、生きていくのはこんなにも過酷なのである。そんな地球で生き残るために人間は、文明を作り社会を発展させてきた。社会を形成すると必ずどこかに歪みが生まれる。その歪みは、現代では鬱や虚無感、経済格差や少子高齢化といった形になる。現代社会はどうしてこうも生きづらいのか疑問に思っていたが、それは人間が餓えや渇きで死ぬリスクを下げるのと引き換えに払っている代償なのかもしれない。

ただ、人間は文明を築くことで、他の動物たちにも小さくない影響を与えている。気候変動や密猟など。それはあまりに自分勝手に思える。人間ってなんなんだろう。

2月19日 月

ようやく『夜明けのすべて』を観れた。素晴らしかった。

宇宙でまどろむような感覚。

藤沢さんは月に1度、PMS(月経前症候群)のためイライラが抑えられなくなる。映画冒頭、PMSの症状と薬の副作用のせいで、新卒で入った会社をすぐに退職してしまう。それでも自立してちゃんと生きていかないと、と真面目な彼女は前を向き、自分のペースで働けるティッシュ配りなどのバイトを始める。

次のカットで映画は、5年後の藤沢さんを映す。藤沢さんは、栗田科学という小さな会社で周囲の理解に助けられながら働いていた。この5年間のことは描かれていないけど、たくさん努力をして自分の居場所を作ってきたんだろうなということが伝わってくる。休憩時間に買ってきたお菓子を同僚に配る気遣いも、PMSとともに生きるためにに身につけた彼女なりの処世術だろう。

映画の始まりの時点ですでにちゃんと強い藤沢さんが、そこからさらにいろいろな人と関わっていく物語が、これから始まる『夜明けのすべて』なんだなあと感じた。

話は中盤に飛ぶけれど、早退した藤沢さんの家に、山添くんが忘れ物を届けに行った帰り道。自転車を漕ぎながら、木々が揺れる音に胸を打たれる山添くんの姿が印象に残った。こんな瞬間ってあるよな。思いがけない世界の平凡さに救われるようなことって。

夜明け前がいちばん暗い。
これはイギリスのことわざだが、人間は古来から夜明けに希望を感じる生き物のようだ。
たしかに、朝が存在しなければ、あらゆる生命は誕生しなかっただろう。
しかし、夜が存在しなければ、地球の外の世界に気づくこともできなかっただろう。
夜がやってくるから、私たちは、闇の向こうの途轍もない広がりを想像することができる。
私はしばしば、このままずっと夜が続いてほしい、永遠に夜空を眺めていたいと思う。
暗闇と静寂が私をこの世界に繋ぎとめている。
どこか別の街で暮らす誰かは、眠れぬ夜を過ごし、朝が来るのを待ちわびているかも知れない。
しかし、そんな人間たちの感情とは無関係に、この世界は動いている。
地球が時速1700キロメートルで自転している限り、夜も朝も、等しくめぐって来る。
そして、地球が時速11万キロメートルで公転している限り、同じ夜や同じ朝は存在し得ない。
いま、ここにしかない闇と光ーーすべては移り変わっていく。
一つの科学的な真実ーー喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、
地球が動きつづける限り、必ず終わる。
そして、新しい夜明けがやってくる。

夜についてのメモ

本当に素晴らしい映画だった。これから人生で何度も観直す作品だろうなあ。

作り手の人たちの誠実さも感じた。
つまらない映画やドラマにありがちな、
藤沢さんと、山添くんの彼女の千尋さんの対立構造を作ったり、
藤沢さんと山添くんが男女を意識するシーンを作ったり、
発作を物語の加速装置にしたり・・・・・・
そういうことをしないでくれた。
変な展開につなげない姿勢がとても信用できる。

帰りにパンフレットを買おうと思っていたが、売り切れていた。
居ても立っても居られなくなって本屋で原作の文庫を買う。

2月20日 火

2月で25度の異常な温かさ。過ごしやすいけど。
でも明日からはまた10度以下になるらしく憂鬱。

電車で帰って駅に着いたら、男性がガチャガチャの前で小さくガッツポーズしていた。目当てのものが当たったのだろう。一人だから大きく喜べないのだろうが、喜びを抑えられていない姿が微笑ましい。見ているこっちも少し幸せな気分になった。

2月21日 水

仕事終わりに用事があって、いつもと違う経路で帰る。
かなり久しぶりにバスに乗った。

バスの車内って、いつも想像よりちょっとだけ広い気がする。
そして夜はちゃんと薄暗い。

電車の車内は夜でも眩しいくらいに明るくて、
一日の終りって感じがしない。

バスは天井の一部に照明があるだけで、
ちゃんと夜を感じさせてくれて落ち着く。

バス通勤、結構好きかもしれない。

2月22日 木

ジョンソンはJohn son=ジョンの息子で、ジャクソンはJack son=ジャックの息子らしい。衝撃! 初めて知りました。

IKEAのオレンジのウォールライトがほしいけど、賃貸でどうやってつければいいのかわからないし、地震が怖いので諦める。

2月23日 金

昼前、小雨が降るなかを歩いて理容室へ行く。気温は5度くらい。どうしてこんな天気の日に予約をしてしまったのか。

ということで、パーマをかけました!

今年はジムかピアノ教室にでも行きたいなあ。ピアノ弾けないけど。始めたい。

2月24日 土

もう他人同士じゃないぜ
あなたと暮らしていきたい
〈生活〉といううすのろがいなければ

情けない週末(佐野元春)

穂村弘のエッセイにあった"生活を厭わないタイプのひと"という言葉。そういう人に憧れる。

わたしは”生活を厭いまくるタイプ”で、洗濯物が畳めず山になるし、キッチンのゴミは溜まる一方だし、ロボット掃除機は本体が汚れている。

自炊もほとんどしない。
今日の昼は冷凍の回鍋肉を食べた。肉が少なくてほとんど野菜だったけど美味しかった。

自炊って、1時間くらいかけて作った料理を10分とかで食べ終えてしまうので頑張れない。1年前くらいに『自炊者になるための26週』という本を買った。1週に1章、その週の課題をクリアしていけば、26週=半年で、だれでも、すすんで自炊をする人=自炊者になれる、というコンセプトの本なのだが、一度も開くことなくずっと本棚に眠らせている。

例えば何年か後に結婚したり、子どもが生まれたりしたら、わたしは自分の生活を変えられるのだろうか。

好きなアーティストのライブに行くこと。深夜に海外サッカーを観ること。劇場に映画を観に行くこと。静かな場所、好きなタイミングで本を読むこと。日記を書いてゆっくり頭を整理すること。

パートナーのために子どものために、そういうことを我慢しなければならないとき、わたしはしっかりとした人間でいられるだろうか。

2月25日 日

外に出たかったけど、雨で気温も5度くらいだったのでずっと家にいた。
カウリスマキの『浮き雲』を観た。

数日前にAmazonで買った、テレビ裏に取り付ける収納ラックが届いた。取り付けようと思ったら、ネジのサイズが家のテレビと合わないことが判明。お金と作業時間のムダだった。

CALCiO2020の動画で細江さんが「多様性って言葉をもっと丁寧に説明してくれる人がいないといけない」と言っていた。まさにその通りだと思う。

”多様性”という言葉だけが先行している現代において、あたかもそれは美しいもののように語られる。

しかし、多様性なんて本来は物事をややこしくするものだし、衝突や分断を起こすもののはずだ。ない方が絶対に楽ではある。

それでも、いろいろと違う考え方を持ち、いろいろな違う活動をするグループが各方面にいれば、それぞれ違う個性や問題を抱えた人たちに居場所を作ることができる。それぞれの強さを持ったグループが補強し合って、人を守っていける。だから大事なのだ。

いろいろと違う考え方とは、どんなものがあるのか。いろいろな違う活動をするグループとは、どんな人たちなのか。どんな領域においても、それをしっかりと説明がされ、大人も子どもも自分の意志で何を支持するか選べて、選んだ後も自由に行き来できるような状態を作っていく必要がある。

2月26日 月

彼女にフラれる夢を見てしまった。

上司にパーマを褒められてうれしい。

仕事終わりに『落下の解剖学』を観る。
わたしたちは断片的な情報から、何が真実なのかを決めなければならない。そのとき大事なのは、それが信じる“フリ”をするのではなく、覚悟を固めて自分でそれを真実であると決めること。パンフレットには『「客観的な事実」よりも「主観的な真実」を選び取る』と書いてあったが、そういった意思と姿勢だ。

パソコンが限界すぎる。買い替え時か。

2月27日 火

最近在宅勤務の日は、昼休みに落語聴きながら昼寝している。かなり良い感じ。起きたらとても集中できるし。

ずっとメルカリに出品してたのに売れてなかったダウンがついに売れた。出品してから何度も値下げを求めるコメントにイライラしながら拒否していたけれど、今回は値下げ交渉なく即購入していただいて、とても気持ちがいい。あのとき値下げして売らなくてよかった。

冷静に考えて、メルカリに出品している物はまだ誰かの所有物なわけで、その値段を執拗に下げようとするのって、かなり失礼だよなあ。お前の持ち物にはお前が言ってるほどの価値はねえよって。

2月28日 水

夕方まで靴下を裏表逆で履いていた。今更履き替えても、いつもの表は今日の裏で、いつもの裏は今日の表になってしまってるから、もう履き替えない。

小学校の修学旅行の後、写真販売用にたくさんの写真が番号とともに廊下に貼り出されていた。みんなでご飯を食べるときや、博物館で驚いてるとき、部屋で布団に寝っ転がってるとき。そういう子どもらしい表情を映した写真がズラッと並んでいるなか、1枚だけ、夜空の満月をいっぱいに映した写真があった。カメラマンさんのプロとしての意地だったのだろうか。

当時のわたしは、周りから感受性豊かなんだと思われたくて、その満月の写真を買った。

後日写真を受け取って親に見せると
「何この写真?」
と言われた。

正直雰囲気で買っただけで、修学旅行に行ってるときは月なんて見てすらなかったので、買った理由なんて答えられず、顔を真っ赤にして封筒にしまっただけだった。

2月29日 木

岸政彦のポッドキャストを聴く。

夕方に桜木町へ。神奈川県立音楽堂でカネコアヤノの晴豆 生音 Live Series。

マイクもスピーカーも一切使わず、
ギターだけ持ち、
このホールのこのステージに自分一人で立って、
自分で作った詞を歌う。
一体どんな気持ちなんだろう。

裸足でバンバンと地面を蹴りながら、ホール全体に歌声を響かせていた。

カネコアヤノの弾き語りを聴いていると、毎日ちゃんと生きようと思う。

ちゃんとっていうのは、
意識高く勉強するとか無駄なく動くとかの意味じゃなくて、
自分の周りの人や物を自分で選ぶとか、
全部が適当な食事を続けないとか、
人に自分を否定させないとか、
自分の悪いところだけを見ないとか、
そういうこと。

好きな家具で生活を飾りたくなる。

しっかりとした気持ちでいたい
ーーこのシンプルな言葉で、自分に誠実でいるための力をもらえる。

夜ご飯を食べて、ちょっとだけみなとみらいを歩く。

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