子供を持つ選択の宿命と代償 【子供と話したいお金の話157】

お疲れ様です。ナニモノです。
週末海岸清掃をしたり、サラリーマン大家をしたり、
#note にアウトプットしたり、父親として家事に育児に頑張っています。

背負うべきもの

今日は至極当たり前のことかもしれないことを書きます。
あくまでお金のことをベースに書きますが、
もし違和感や不満を感じた方がいたら
すいません。としか言えない。
先に言っておきます。あくまで個人の考えです。
誰かを否定するものではない。
なので、、、
すいません

個人的には、前向きでこのまま頑張ろうと思うことを書いてます。
この前提を最後まで忘れないでください。
子供には感謝。

久々に子供を看護しながら在宅で仕事した。
そのときに思ったことを書きます。

背負うべきものがある

子供を持った以上、背負うべきものがある。
ちゃんと育てるということに結論はなるのだが、、、

自分(夫婦という視点も含みます)と立てるか、
子供を立てるか。
あっちを立てたらこっちが立たず。

これが子供を持った責任であり宿命。
自分の趣味や老後にお金をつくろうとしたら、
子供の教育資金に回すお金が少なくなる。

子供の教育資金をつくろうとしたら
自分の趣味や老後のお金が少なくなる。

両方育つということは極めて可能性が低いことが現実。
トレードオフなんて言ったりしますが、
基本的に双方うまくいくということはない。

今のお金を使えば、未来のお金が減る。
今我慢すれば、未来の資産になる可能性がある。
これと同じ。

時間も同じ。在宅で子供の看護しながら久々に実感した。
子供に時間を使えば仕事や趣味、勉強、運動に時間は取れない。
自分の時間を優先したら家族や子供に時間を割けない。

相容れない。
愛情だけで成立している。
もっといえば、その愛や家族のための想いがあるから
なんとかなる。
だけど、相容れないもであることは変わらない。

家族のために。
そう生きている私。
早速、転職して臨むように在宅ができ、妻だけに負担にならないように働けている。
ただ、この時の負担はすごいでかい。
子供を皆がら仕事をする。
普段の仕事の5倍は最低でも脳みそと気遣いをする。

仕事と家族。
これも相容れないものだと改めて思った。

#キングコング #西野さん がよく言っています。
家族を持ってしまったら自分が背負った宿命や仲間を守れない
(否定的な意味ではない)
烏滸がましいがすごくわかる。

どうしたって家族は仕事の挑戦にブレーキになります。
*力になる時もあるよ

ちなみに在宅の話をしましたが、
コロナ禍は妻が育休中だったので、子供を放置することはなかった。

今思うと改めて妻がいてすごい助かった。改めてです。
そして、当時の家族を支えながら家で仕事していたお母さん方。
本当に苦労されたとお思います。
どうしたって育児のベースがお母さんになる。
だけど、頑張ってるお父さんも大変だったと思う。
お疲れ様です。

社会保障を充実させよう。
それはつまり、ちゃんと育てようということ。
そのための補助でしかない。
でも、社会保障が充実したとて、
仕事が楽になったら収入が良くなるとは限らない。
気遣いは増えるし、負担も増えるし、支出も増える。
時間は奪われるし、なにより自分でない誰か(パートナーや子供、親)に
人生を捧げることになる。
だから、子供を授かることや望み叶える願いを躊躇うのでしょう。
よくわかります。

子を持つ。家族を持つ。本当の意味で家族を想い守る。
それを実現させるには背負うもんがたくさんある。

決して後ろ向きなことを書きたいのではない。
家族を持つ覚悟。意味。求められるもの。
背負った先にどうなるかわからない。
ただ幸せであろうと努力すること。
自分のお金や時間や体力を捧げること。

背負った重みの代償は、幸せだけじゃない。苦労や不安。
希望もあれば絶望もある。

子供を持つこと。
理解しきれない。
ただ、今家族の幸せと明るい未来を願って、自分の幸せも叶えるために

ただただ頑張るしかない。
改めて言葉にしてみました。

それでは
Look Up
今週も頑張っていきましょう


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