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鬱闘病日記 ¦ 最も私らしい生き方

1年前の今頃死んでいるはずだった

私は記憶が無いとわかってから精神的におかしくなり死ぬことしか考えられなくなって遂に心中未遂をした。2023.9.1


日付も時間帯も、その日何時に何をしたかも鮮明に覚えている。忘れられるわけない。


でもあの日も本当は生きたいと思ってた。

だから暴れた。
人生で初めて感情をむき出しにした。

死にたくなかった。

山の中で誰にも見つからず死にたくなかった、そんなことを考えていると首を絞められた。

苦しくて自分の人生がどんなに滑稽なものか思い知らされた。


暴れる私を見て相手は逃げた。

その後自分で救急車を呼んだ。

耳も聞こえなくなっていた。

ICUに入院したとき、手足が動かなくなったり言語障害が残るかもしれないと言われた。

まさに生き地獄だと思った。

直ぐに母親が見舞いに来た。
本当は私の事なんて心配していないのに

警察もきた。
事情聴取を受けた。
そこで初めて事の重大さに気づいた。

警察に、「なんで9.1を選んだの?」と聞かれ

「自殺者がいちばん多いから、誰にも迷惑かけたくなかったしニュースになりたくなかった」
と話した。

警察は「調査をしないといけないから警察に迷惑かかるよ」と言ってきた。

「それ仕事じゃないんですか?」と思わず、ポロリ。

それくらい頭がおかしかった。

ICUに入院した後、3ヶ月精神科に入院した。


3ヶ月の間私はかなり前向きになれたと思う。

母親の洗脳が溶けてカウンセリングも受けた。精神科の先生と初めて本音で話した。

死なないでくれ、と言われた。

飲みたくない薬も飲んだ。そんなに強くないやつ。

ずっと生きている心地がしなかった。

10分に1回は中途覚醒してしまうし、寝れても1時間睡眠(あとはずっと起きてる)が2ヶ月続いた。

Twitterで知り合ったよく分からないオッサンと毎日通話していたらネトストされるようになった。

私は誰かに話を聞いて欲しかった。
誰でもよかった。

当時の私は、かなりあたおかだった。

それで、急ぐように退院して退院後も3ヶ月くらいはずっとあたおかだった。

最近ようやく生きている感覚が戻ってきた。

資格の勉強も初めて試験は鬱で受けれなかったけど今月中に絶対受ける。

親とも適度な距離をとって、自分でお金の管理をして当たり前の生活をいまは当たり前に送れている。

無職の時にPayPay後払いをしていたからそれの返済もしている。

最も人間らしい生き方。
私らしい。

病んでも這い上がる、最も私らしい生き方。

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