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【毒親育ち】希死念慮・感情を殺して生きる

起きたら机の上に包丁と酒、薬が置いてあって自分が怖くなった。

死ぬ勇気はあるけど、後遺症残って生きる勇気はない。

毎日更新されていく自分の頭のおかしさは滑稽で惨め。

何か大事な感情を殺さないと生きていけないこの苦しみ、痛み、反吐が出そうな程に自分という人間が生きていることすら受け入れられない。

人間はいつか死ぬのに、それが今日かもしれないし明日かもしれないのになんでみんな働いて日々の生活を頑張れているんだ?

私からすると皆死刑を執行される直前のようなものだと感じる。

私はいつもドキドキしている、道を歩くだけで車がぶつかって死ぬんじゃないか?

家に居るだけで災害で死ぬんじゃないか?

それなら自分の死は自分で決めたい。
とかそんなことばかり考えて心拍数が早い、早い早い。

ホッとできる居場所がない。

考えてみれば生まれてきてからそうだった。
父は家族に暴力を振るうし、母は私が物心着いた時から精神が崩壊していたし、姉は父を殺そうと本気で思っていた。

姉に「お母さんのこと殺そうと思ったんだけど殺したらお姉ちゃんたちに迷惑かけるから辞めたんだよ。」

と言うと姉は「殺そうと思うのは毒親あるあるだね」と笑っていた。

それくらい強くなりたいものだね。

夜中、自殺の衝動に駆られる。

私の中の死にたいと生きたいが葛藤する。

実行したとしてもわたしの心の底ではいつも生きることを望んでいるので後遺症残らずに生き延びる。

自殺する人は、命を絶つ瞬間死にたいが100%なんだろう。
私は生きたいが95%だった。

若いし、自分の人生なんとかなると本気で思ってた。
なんともならなかった。

入院しても、苦しさを理解されたとして助けてくれる人はどこにもいないし居場所もない。

自分で見つけるしかないのだけれど、本当は誰かに甘えたい。

泣きつきたい。

泣きつけるほど、強くは無い。


入院中「もうあんたを助けてくれる人は誰もいない」と母に言われたことを思い出す。

それは確かにそうかもしれない。

母が当時付き合っていた彼氏の影響でギャンブル依存症になり親戚に多額の借金をして、頼れなくなったのは知っていたけど何も言わなかった。

結局、私は母に囚われている。

どこにいっても何をしてもあいつのせいで八方塞がり。この土地を出るしかない。

なのに金がない。

金なんてただの紙切れに過ぎないのにそれを毎日一生懸命どうやって稼ごうか考えている。

死ぬより、やはりしたいことをしたい。

今世でやり残したことを沢山したい。

整形、海外旅行、恥ずかしくて誰にも言えないようなことも全てやってみたい。

ゴミみたいな人生を変えるのは私自身なのに打つ手がない。


死んだ方がいいのかな?
私は1度も信じたことはないが神様が本当に存在しているのなら、なんの意図があってこんな人生を歩ませているのだろうね。


明日があることも自分に未来があることも何もかも苦しい。

私の人生は穏やかに確実に自殺へと向かっている。

この感情を死にたいで終わらせない。

仮に本当に自殺したとしても私の死を悲しむ人は、片手で数える程度。


負の感情をいつもいつも押し殺して生きてきた。
凡人のフリをして普通のフリをして世の中と上手くやってきた。

でもその世の中が大嫌いで、社会人の自分と本当の自分が真逆すぎて多重人格程に人格が違って怖くなる。

家族のこと虐められてたこと殺されかけたりこと、負の感情を堰き止め続けているのは死への恐怖だったり生きたいという感情だったりする。

でももう負の感情が支配しようとしている。

日に日に生きたいという感情がなくなって、入院中よりもかなり危ない精神状態になっているのは自分でもわかる。


生きるか死ぬか、私は死ぬんだろう。

あの日、救急車を呼んだこと未だに後悔している。

あの苦しさが夜になるとフラッシュバックする。

本当に助けてくれる人なんてどこにもいない。

誰になんと言われようと死にたいが勝ってしまったら私は死ぬ

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