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歴史を軽視することは未来を軽んじること

たった数十年前のことでさえも歴史検証を放棄したり、歴史にふたをしようとする人や、自ら目や耳をふさいでしまおうとする人がいるのには驚きです。

たとえ不都合な歴史だったとしても、証言を集め、記録を集め、歴史を検証し、実際に何が起こったのかできるだけ正確に把握しようとする努力を怠ることは、未来をも軽んじることになるのではないかと危惧します。

79年前に終戦をむかえたあの戦争中のことも、101年前の震災の際の出来事も、人間社会の歴史としてはそれほど遠い昔のことでもないにもかかわらず、「記録がない」の一言でかたづけようとするずさんな動きもありました。

このような風潮をみすごしてしまうのか、それともきっちりと目を向けて反論していくのか、歴史学、社会科学の意義を深く問われているように感じます。

文章に残っていなければ事実を把握できないと歴史の検証を放棄してしまうのならば、ほとんどの不都合な歴史は検証できないということになってしまうでしょう。私たちは何も知らないまま、また不幸な歴史を繰り返すことになるかもしれません。

証言を集め、事実の断片を拾い集め、過去に何が起こったのか解き明かす努力は続けていく必要があると思います。

歴史を知って未来の指針となすことは、歴史学、社会科学の大きな役割の一つではないでしょうか?

そして、現代のマスコミには、いま何が起こっているのか、事実に基づく報道を、憲法の基本的立場である人権や平和を守る立場からしっかりと記録し、伝え続けてほしいと思います。

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