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政治をタブーにしない

何となく政治を語ることが悪いことのような、タブー視されているような、そんな雰囲気が日本にはあるような気がします。

本来、政治活動を行うことは憲法で保障された権利であり、自由であり、規制されるべきものではないはずです。ましてや自分の政治的な立場を表明したり、意見を述べたりすることは、それを隠しておくことも含めて、自由であり、最大限保障されるべきもののはずです。

海外赴任先では、政治的な議論は普段の会話の中でも、日本に比べてより活発に行われていたように感じます。

他人の政治的な意見を尊重しつつ、自分の意見をはっきり言えることは、政治を成熟させていくうえでとても重要なことだと思います。政治について考え、政治を語る訓練は、他人の政治的な意見を聞く訓練とともに民主主義にとって非常に大切なことだと思います。

日本では芸能人やスポーツ選手などの政治・社会的発言や活動がバッシングされることがあるようですが、「知らないくせに」との批判も含め、他人の政治活動や政治発言自体を委縮させる行為は、民主主義を自ら捨て去る行為だと思っています。自分と違う意見の人を誹謗中傷するのではなく、相手の意見に耳を傾け、自分の意見をブラッシュアップさせながら堂々と主張することのほうがずっと健全です。

日本において、人前で政治の話をすることがはばかれる雰囲気があるのだとしたら、その要因の一つには、「体制批判は良くないこと」、「我慢は美徳」、「権利は強く主張すべきではない」などの考え方があるからでしょうか?

それとも政治自体が何か特殊な、特権的な、素人が手出しできないもののような見方をされているのでしょうか?政治と金の問題など、政治に対して庶民が扱えるものとは違う感覚や、うさん臭さを感じてしまうこともあるのかもしれません。だとしたら、今の政治家の責任も大きいと思います。

本来、最大限守られるべき政治活動の自由も、国の施策や法律的にはどちらかというと、慎重というか、制限をかける方向が多いような気がします。

選挙権が18歳以上に引き下げられて、「高等学校等における政治的教養の教育と高等学校等の生徒による政治的活動等について(通知)」とそれに関するQ&Aが文部科学省から出されていますが、民主主義の根幹でもある政治活動の自由を最大限保障するという趣旨はあまり見えてきません。

もし政治的意見の表明を行ったことにより、成績評価に影響が出たり、職業選択の自由が奪われたり、なにかしらの不利益につながったりすることがあるのなら、そのことほど監視、制限されるべきことのように感じます。

アメリカでは学生たちがイスラエルのガザ侵攻に対して反対の声を上げています。声を堂々と上げること自体が非難されるべきことだとは思えません。声を上げる学生や市民がいるということはむしろ希望です。反対に、大学側の対応や警察の介入など、アメリカの民主主義の現状や限界を示しているような気がします。

声を上げない国民ほど政権にとって都合の良い人たちはいないのだと思います。


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