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弱いものびいき、地元びいき、身内びいき

1975年の夏。私はテレビの前で涙して叫んでいました。

夏の甲子園、準々決勝。私の地元埼玉上尾高校対神奈川東海大相模高校戦。

あの原辰徳選手をはじめとする全国レベルで名の通った好選手を擁する東海大相模。「スマートで都会的」と「豪快さ」を併せ持つ、大会屈指の優勝候補でした。

試合の前評判も、試合が始まってからのアナウンサーと解説者の会話も、なんだか東海大相模が勝つことが既定路線のような感じでした。

私は、この頃、全国高校野球と言えば迷わず地元埼玉を、埼玉が出ない時は、たいてい前評判の高くない方、あまり話題になっていない方、甲子園上位常連県ではない方の高校をそれぞれの試合で応援していました。

上尾対東海大相模。上尾高校は地元埼玉の高校で、全国的には無名で、なんだか格下にみられている、と言えば、やっぱり上尾高校への応援に熱が入ります。

試合結果はシーソーゲームのすえ、5対4で上尾高校の勝利。試合の流れは下の「令和電子瓦版」の記事に譲るとして、とにかく試合中は普段から手に汗握っている手掌多汗症の私ですが、さらに涙の「水増し」の応援となりました。

私はスポーツ応援などではなんとなく感情的に地元びいき、判官贔屓なところがあるようです。

いろいろなことでも、やっぱり私はできるだけ身内、地元、弱いものから応援したいと思っています。ただ、心構えは「冷静に」「合理的に」そして「無批判ではなく」です。

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