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固定電話の思い出

こどものころ実家にあった電話のことは今でも何となく覚えています。

サザエさんちの電話と同じ黒いダイヤル式の電話でした。

同じ市外局番内であれば直接ダイヤルできましたが、市外にかける際にはエリアによっては一度交換所 (電話局) に電話をかけて交換手に相手の名前と番号を伝えてつないでもらう必要がありました。行田の母の実家に電話する際にはいつも一度交換手を通してつないでもらっていました。1960年代後半のことです。

エリアによっては市外でも直接電話することができたので、ちょうど交換手から自動電話交換機への転換期だったのでしょう。

黒電話はそのままで、いつからか交換所に電話しなくても、行田のうちには電話できるようになっていました。交換所の自動化が進んだようです。

そのころ行田の母の実家に行くと、黒電話と同じような形でダイヤルの無い電話機があったような気がします。

電話をかけていない時にはその電話からニュースや天気予報などの有線放送が流れていた記憶があります。電話をかける際には必ず交換手を通して接続してもらう必要があったようです。

そんな時代からわずか数年で、プッシュフォンの時代が訪れ、電話も交換手を通さない時代に変わりました。電話機もおしゃれになり、親機、子機があって (親子電話)、家の中でインターフォンとして話したり、親機で受けた電話を子機に転送したりすることもできるようになりました。

はじめて親子電話がうちに来たときは、家族でしばらく「もしもし」遊んでいました。

大学時代のアパートも、会社に入ったばかりの寮も共同のピンク電話が一台あり、自分の部屋に自分用の電話を持つなんて考えも及びませんでしたが、入社してしばらくすると、寮の各部屋に自分で電話を引いても良いことになりました。

はじめて個人用の電話を引いたときはちょっと感激でした。誰とでも誰からの電話でも人目を気にすることなく電話ができるようになったのですから。そして個人の電話回線をつかってのパソコン通信などを始めたのでした。

電話を個人で持つ。とてもワクワクする出来事でした。

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