国道113号。自分と向き合う時間をくれた道
大学の卒業論文は、宮城県の最南端、伊具郡丸森町を中心に、北に接する角田市と南に接する福島県相馬市の一部を含む広い地域の地質調査でした。
大学のある新潟からこのフィールドへは実は国道113号一本でつながっています。
実際には大学からは、新潟市の市街地を極力通らずにバイパスを経由して胎内市に向かうことが多かったです。胎内市を過ぎて荒川の手前で東に向きを変え、荒川と米坂線に沿いながら内陸に向かいます。関川村の山並みをどんどん進んで行くと山形との県境、赤芝峡です。
県境を越えると山形県西置賜郡小国町で、ここは私たちが3年生の時、進級論文でお世話になったフィールドです。つまり、ここまでは進論の際にも何度も新潟から通った道です。ここからしばらくは私の友人たちが進論で苦闘したフィールドの中を通り、飯豊町を経由して南陽市に入ります。なんとも明るいこの市の名前の看板が見えてくるのが楽しみでした。
そして南陽市を超えるとなんだか道は細く険しくなり、山道の雰囲気が出てきたものです。くねくねした道を抜け、二井宿峠を超えると宮城県に入ります。分水嶺を超えると七ヶ宿町で、当時は白石川をせき止める七ヶ宿ダムの大工事中でした。いずれダム湖に沈む家々もまだ眼下に見えていました。
七ヶ宿を越えれば白石市で、大きな市街地に出ると、まだまだ海は遠くてもなんとなく太平洋側に出て来た雰囲気を感じたものです。白石市を超えるとまたすこし山道を通って、いよいよ角田市です。角田市の一部は卒論のフィールドでもあるので、なんとなく「ついにやってきてしまった」という重いプレッシャーを感じながらの運転となります。
角田市内で今度は阿武隈川を上流に向かうように南下します。
阿武隈川は、丸森町で海岸に沿って南北に延びる標高数百メートルの山々を越えることができず、一度北上して角田市を通り、さらにそこから北上し、柴田町あたりでやっと東に向かい太平洋に出ることが出来ます。
角田市から南下すると卒論の中心地、宮城県伊具郡丸森町となります。国道113号はここで阿武隈川とわかれ、さらに南下し、大沢峠を越えて福島県相馬市へと入り、国道6号とぶつかり終点となります。
全長約230km。新潟と丸森町を何度往復したことでしょう。卒論の指導教官である教授を助手席に乗せて、気まずい長ドライブもありました。卒論中、就職試験や面接のために、この道を通って一度新潟に戻ってから東京に向かったこともありました。
長い道のりですが、自分と向き合う大切な時間をくれた道でもありました。大学時代の大切な時を共に過ごしたような気がします。
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