衝撃的だった三宅島地質巡検
高校、大学、社会人と、地質巡検を何度も経験してきましたが、大学生の時に行った三宅島の巡検は衝撃的でした。
三宅島は雄山を中心に現在も活動的な火山からなる島です。有史以来たびたび噴火災害が発生した記録が残されています。
最近では1940年、1962年、1983年、2000年に噴火が発生しています。
私が三宅島に巡検で行ったのは1983年の噴火の後、1年も経たないうちでした。
1983年の噴火は10月3日の午後、雄山南西山腹で始まりました。火口は成長して割れ目状となり、溶岩流が3方向へ発生し、そのうちの一つが阿古地区の住宅地に流れ込み、400棟以上の民家や学校を飲み込みました。
また、島の南部の新澪池付近などで水蒸気爆発が発生し、岩塊や火山灰を降らせました。新鼻海岸付近でも新たにできた火口が確認されています。
溶岩の流出自体は翌日にはほぼ止まったようです。
幸い人的被害はなかったとのことですが、住宅の埋没・消失をはじめ甚大な被害を与えました。
私たちが三宅島に行ったときには、まだ溶岩も黒々として暖かく、阿古地区の小学校や住宅が溶岩流に飲み込まれた現場をじかに見て、大変衝撃を受けました。また、写真で見た噴火前の美しい緑に囲まれた新澪池付近の、噴火後の変わり果てた景色に愕然としました。
2000年の噴火は、付近の海底噴火から始まり、雄山山頂での噴火で火山灰の降下と火砕流が発生、大量の火山性ガスの噴出が起こったそうです。この時は全島民が4年以上も島外への非難を余儀なくされました。
[気象庁 三宅島噴火の歴史]
三宅島の巡検では火山噴火のすさまじさをまざまざと感じさせられました。日本国内の地質を見ると、関東ローム層をはじめ、各地で火山噴出物に関連する地層が非常に多く見られます。直接間接を問わず、国土のほとんどが火山や火山噴出物の影響を受ける可能性があるということです。
気象庁が観測点を配置して常時観測を行っている火山だけでも以下のリンクにあるように、50近くあります。日本が火山活動の盛んな国であるということが実感できます。