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かつて日本でもパリみたいな暴動があった!乗客が大暴れした上尾事件を徹底解説【2/24は鉄道ストの日】後編


前編はコチラ↓


激混みだった高崎線

組合の作戦はわかりましたが、ここで迷惑をこうむるのは、国鉄を通勤に使っていた乗客です。

当時の高崎線は非常に混雑することで有名でした。高度経済成長期のさなか、沿線人口が急増していたのに列車の数が増えず、激混みの状態が毎日だったのです。さらに日本海側の雪の影響で普通列車が遅れたり、運休になったりすることも多く、高崎線の乗客は国鉄に対してイライラが高まっていました。

上尾駅が混乱状態に

1973年3月12日の月曜日、組合は順法闘争をついに決行します。
上記のような殺人的な満員電車に加えて、日常的に遅れが発生している状況なのに、そこに輪をかけてわざとゆっくり運転をするわけですから、乗客としてはもう我慢ができません。

翌日の3月13日にもこの運転が続きました。普通のダイヤであれば、上尾~上野間は37分で着くところ、なんと3時間もかかるほど、ゆっくりと運転したのです。
朝の通勤時間帯、上尾駅ではすでに5000人もの乗客がホームで列車を待っていました。ゆっくり運転をしているため全然列車が来ず、通勤したいサラリーマンや学生などが続々とホームに溜まっていたのです。

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7時10分、ようやく列車が上尾駅に入ってきました。しかし、列車は定員840人に対しすでに3000人以上が乗っているという激混み状態。上尾駅にいた乗客は全然乗れませんでした。何としても会社に行かなければという人が無理やり乗ろうとしたり、一方で職員は列車を出そうとしたりで、小競り合いが起こります。

ここにホームの反対側に別の列車が入ってきました。しかしこれも定員944人に対し、4000人以上が乗っている超満員列車。もう全然乗れません。
乗客のイライラはピークに達していました。

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「大宮止まり」放送でブチ切れ

混乱状態になった上尾駅。もう乗客の怒りはMAXです。
そして、ここにきて決定的な事件が起こります。
上尾駅にいるこの二つの列車に関して、大宮で運行を打ち切る、という構内放送が流れたのです。

イライラMAXだった乗客は、ついにこの放送でブチ切れてしまいます。
「おい!なんで大宮なんだよ!」「この野郎!いい加減にしやがれ!」そんなテンションだったのでしょうね。満員電車で揺られながら数時間も車内で閉じ込められていた人やホームで何時間も列車を待っていた人はもう我慢の限界を超えてしまいました。

一度キレた社畜はもう止まりません。一部の人が運転室の窓ガラスを割ったり、列車に投石したりといった暴力沙汰に発展しました。

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身の危険を感じた運転士は、列車から降りて駅長室に逃げ込みますが、追いかけた乗客がそのまま駅長室になだれ込み、室内で大暴れ。ロッカーや鉄道電話を手当たり次第に壊したり、消火器をぶちまけたりといった破壊行為をして、さらに駅長に暴力をふるいました。
また駅の分岐器や信号などの設備、券売機、列車内のイス、ヘッドライトなどが次々に破壊され、しまいには新聞紙で放火をする人まで現れ、上尾駅はまさに世紀末みたいな状態になってしまったのです。

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この上尾駅がもっとも酷い惨状だったので上尾事件と名付けられましたが、同様の暴動は熊谷駅、鴻巣駅、北本駅、桶川駅でも起きました。また宮原駅では、駅長や助役が乗客に拉致されて大宮駅まで歩かされたそうです。

この一連の暴動で、混乱に乗じて駅から金銭を略奪したり記者に暴行した人など、7人が逮捕されました。


翌月にはさらに酷い事件に

そしてこの流れは、翌月にも尾を引き、首都圏国電暴動と名付けられた事件に発展します。

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4月24日の赤羽駅では超満員で乗車できなかった客が列車を取り囲んで窓ガラスを割ったり、駅長室で暴れたり、車内で発煙筒が焚かれたりといった事件に発展しました。また上野駅、新宿駅、渋谷駅、秋葉原駅など首都圏のほかの駅にも波及し、破壊や放火、略奪などが次々に起きて、大変な事態となったのです。


デモにも消極的でおとなしい日本人ですが、一度キレると手が付けられなくなってしまうのですね。切れた理由が、会社に行けないからというのが、なんとも日本人らしいというか……。

今ではあまり考えられない、日本では珍しい暴動のお話でした。


Ⓒオモシロなんでも雑学

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