わたしのために、ノートを書く
わたしは、あまりノートを書く習慣がありません。手帳は持っていますが、大半が絵。
学生時代から、ノートにめっちゃ落書きしてました。。ノートの上の隙間はイラストでびっしり。
自分は作文が苦手。下の子も作文が苦手だが、ひとのことは全く言えないのだ。。
それでも、文を書くようになったのは、文通をはじめたこと、詩を書くようになったこと、それから就職しなきゃいけなくなった時に、先生が毎日文を書いてこいって、特訓されたおかげです。
古文の先生で、「お前はオレが嫌いなのか?」と聞かれたことがある。古文の成績もとんでもなく悪く、欠点出まくり。英語や数学が満点だったのですから、これも下の子に全く文句が言えません。わたしもそうだったのだ。
その先生はわたしの入学時の得点と、当時親とケンカして成績が下がってしまった時代の成績を教えてくれました。
入学時はほぼトップクラスだったのに、平均以下になっていた。
家族とケンカするだけで、成績下がるんだ。人間関係が実力に影響することを、はじめて知りました。
それでも、ほんと毎日のように、文をノート1枚につづった。
お題は時事問題あたりなら何でも良いといってましたが、好き勝手に決めてたような気がする。
親はなぜ常識という言葉を使うのか、とか書いていたような。。
次の日学校に持っていき、帰りに職員室で添削を受け取る。
担任の先生は模擬面接をしてくれた。ここまで先生たちが頑張ってくれたのに、就職試験に落ちてしまったのだ。。
日記は三日坊主。漫画のネタ帳なら、たくさん描いたが、心の中をノートに書くという習慣は、ほとんどなかった。
80年代後半にパソコンで絵を発表しはじめる。その際、つけた説明書に心のうちを書くようになった。でもノートにメモすることはなく、パソコンに直接テキスト。
去年、ショップ販売をスタートさせるために勉強しようと、ノートを久しぶりに買った。これは起業ノートとして現在も使用している。
ワークを少ししたが、自分が何をしたいか、というよりは、セオリー通りの、起業論をメモしていた。これがいま、全く役に立っていない。
自分の頭で、自分らしさなど考えることもなく、ただノウハウだけ書いても、時代が変わったら使えなくなる。
昨日、わたしは自分のことを考えず、人が喜んでくれる作品ばかり作っていることに気づきました。
そして、zoomでも、人に振り回されて自分がきちんと出来ていないのでは?と指摘されました。
ぐうの音も出ません。
自分のためにしていたつもりが、他の人のいいねに振り回されていた。
パートナーの件でもそうです。
相手のごきげんが悪くなってわたしを悪く言うから、言われないように考える、ってただ振り回されてるだけじゃないか。
振り回されすぎて、メンタル壊して、本当の自分の作品も作ってないなんて、誰のための人生なんだよ。
会ってたった1時間のコーチングさんに言われて愕然とした。
わたしのために人生を生きた方がいいんじゃない?って言われてしまいました。
そうでないと、起業したってうまくいかないよと。
なんも言えねぇ!
自分のために、「強みノート」というものを買ってみました。
もしかしたら、わたしは自分のためにノートを書くことなど、はじめてではないのか。
自分をごきげんにすることを、独身時代はずっと、みんなが考えてくれてたから、考える必要がなかった。
でも今、こちらでは、自分をごきげんにしてくれるのは、わたしだけ。
30年もたって気づいてしまった。
わたしが自分でごきげんを取る、それは自分にも他の人のためにもなる。そっちから考えていけば、楽だったし、みんなハッピーだったんだ。
自分のためにいくつかのことを決断しました。これからきついかもしれない。でも、意識は変えないとダメだ。これ以上、他人軸で生きちゃ、わたしがしんでしまう。