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【プノンペン寺院探訪】 アンコール王朝と現代カンボジアをつなぐワット・ランカ

久々にプノンペンに行ってきました!上京です!
ホテルから見える高層建築の数々にに驚きました。あのあたり、住んでいたエリアです。いや、あの頃は高層建築もなく、道路は舗装されていなかったのですが…

手前に見える寺院、ワットランカに行ってみようと思い立ちました。

ラーマーヤナのランカ

最近ラーマーヤナを読み終えたことがきっかけです。

このインド古典は、ラーマ王子が、誘拐された妻シータをランカ島で助ける話ですが、ランカってあのプノンペンのワットランカのランカ?と気になっていました。

ちなみに、ラーマーヤナのランカ島とは、スリランカのことですね(最近知った)

北門から寺院へ

恐らくプノンペンで一番の都心にある寺院だと思います。

本来の意味でのプノンペン中心部は王宮なので、少し北になりますが、今のプノンペンでは独立記念塔が現実的な街の中心なのではと思います。独立記念塔の斜め前にワットランカの門があります。

門の上にはវត្តលង្កា(ワットランカ)と書いてありました

Wikipediaによると、ワットランカは1422年に建てられ、スリランカの僧侶とカンボジアの僧侶が会合した場であったそうです。やはりスリランカのランカでしたか!

そして思ったより歴史が古いです。アンコール陥落とほぼ同じ年代です。

華やかな本堂

門を入ると、正面には豪華な屋根の本堂が見えました。王宮と似た、美しい屋根です。

実はアンコール陥落以降の歴史はあまり詳しくないですが(遺跡オタクw)私が知っている限りでは、超ざっくりのカンボジアの宗教はこんな感じだと思います。

⚫︎アンコール時代はヒンドゥー教優位
⚫︎ジャヤヴァルマン7世 大乗仏教(中国・ベトナム・チャンパの影響)
⚫︎ジャヤヴァルマン8世  ヒンドゥー教回帰 (仏像が削り取られる)
⚫︎14世紀以降、上座仏教が広がる(タイ・ラオスの影響)

ということで、こちらは上座仏教の寺院です。

寺院わんこ

外国人も参加できる瞑想

瞑想のご案内があり、在住時に参加すればよかったと思いました!!

概要はこんな感じです。

ワット・ランカでの仏教瞑想
月曜日、木曜日、土曜日:午後6時~午後7時
日曜日:午前8時30分~午前9時30分
場所:本堂2階
誰でも自由に参加できます!
・ゆるめの快適な服装を着用してください
・上半身と脚を覆う服装で来てください
・床の上で座るクッションが用意されています

飛び入り参加できそうです。今度プノンペンに来る機会があれば、参加したいです。

アンコール以降(ポストアンコール)の歴史

現在プノンペンやカンボジア各地で僧侶が修行したり生活する寺院は、ポストアンコール期の寺院です。

最近読んでいるこの本では、ポストアンコール期を含むクメール人の歴史が分かりやすく詳しく書かれていました。

カンボジアの歴史に関しては、アンコールと近現代があまりに激動だったからか主観的な本が多いように感じる中、このブリュノ・ダジャンスの記述はニュートラルな印象がありました。

バックグラウンドを調べると、EFEOでのアンコール遺跡研究の傍ら、インド・タイ・ラオスでも専門家として活動していたそう。なるほど。以下が原書です。

ジャヤヴァルマン7世の逝去に加えて、タイが勢力を伸長、さらには東アジアへの元朝の介入による大混乱などが王国の衰退を加速させる;シヴァ派による反仏教攻撃で、大乗仏教は姿を消し、最終的には上座仏教が勝利を収める;ヒンドゥー教は徐々に縮小して宮廷内儀式祭礼となる。

アンコール・ワットの時代

この本を読むと、中世アンコール王朝と現代カンボジアとのちょうど中間地点にワット・ランカがある気がします。

本堂は左右対称、かっこいいです。タイのお寺よりシンプルかもしれません。

カンボジア各地の博物館は、このような建築とフランスのデザインを折衷した建物になっていることが多いです。
お墓は、ちゃんと四隅をシンハが守り、偽扉やリンテルがあるバンテアイスレイのような形になっているのがすごいです。クメール語の先生によると、裕福な人は遺跡のようなお墓を建てるのを好むとか
プノンペンに住んでいた頃は何とも思わなかったけど、やはりアンコール遺跡がモデルになっているようです。これはバンテアイスレイが近いかな…

プノンペンを訪れたら色々行くところはありますが(私の場合はまずイオンで買い出しw)ぜひこの街の中心のワット・ランカも訪れてみてください。600年の歴史ある寺院です!

同日に訪れた国立博物館の記事もよかったらどうぞ…!

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