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【遺跡探訪66】ライ王のテラスで三島由紀夫「癩王のテラス」を読む


アンコールワット環濠と南大門

朝6:30頃家を出ました。乾季前半は、アンコールワット環濠はどこをどんな風に撮っても絵になります。(逆に雨季は、どんな風に撮っても決まらないです…)

気温23度。気持ちいいです。

アンコールトム 南大門。

今日は寄り道もせず(途中、屋外カフェでコーヒー飲みましたが)一直線にアンコールトムへ。

ライ王像と三島由紀夫全集で記念撮影

ライ王像レプリカ(本物はプノンペン国立博物館)と一緒に記念撮影しました。前回訪れた時と肩にかけている布が違う気がします。この像は裸体なのですよね。

ガイドブック(Focusing on the Angkor Temples)を読むと、他の彫像が布を纏っていることを考えると、この像が裸体であることは国王の像ではないのかもしれない、とも書いてあります。

前回の訪問(2023年4月)の時は、やはり装いが違いました。

テラスで本を広げる

「癩王のテラス」で現在手に入る本は三島由紀夫全集のみでした。文庫が絶版でなければよかったのに…前回の帰国で持ってきた、900ページ近く、重さは2kgくらいあるダンベルのようなこの本を、テラスまで運びました。

全集は注釈や「癩王のテラス創作ノート」が付属し、現代に合うように送り仮名などを多少変えてあるそうで、結果的はこちらで読めてよかったです。

さて、1月の早朝とはいえテラスは直射日光で暑かったです。日陰を探してウロウロしました。

昨年一度読んでいて、さらに今回のために数日前から調整して読み、テラスで実際読んだのは最後の20ページくらいでした。
率直な感想としては、登場人物がそれぞれ非常に繊細で影があり、どうもカンボジア人の雰囲気がなく、ジャヤヴァルマン7世も既に私の中ではイメージができてしまったため、こんなに刹那的ではないはずと目の前のライ王像を見ながら思ってしまいました。

というのも、アンコール王朝時代の王は、世襲ではないのです。様々なところから自分は王だと名乗り出る人が無理やり王座を奪い取り、その王権争いに勝った人が王になるのです。そういう意味では日本の皇族とは全く違い、荒々しいアンコールの国王像が自分の中にできていました。

いや…しかし、多分これは私が読むのが遅すぎたのです。戯曲としては素晴らしく、史実や神話が組み合わさってなるほど!と感心し、また久々に旧仮名遣いの美しい文章を読みました。とはいえ私が20代くらいの感受性の強い時に日本でこの本を読んでいたら、あるいは少なくともカンボジアに来た時点でこの本を読み、エキゾチックなイメージを膨らませてからライ王のテラスを訪れればよかったのかもしれません。

既に6年カンボジアに住んでからでは少し遅すぎて、ライ王のテラス遺跡と「癩王のテラス」は別のものという感覚になってしまいました。登場人物が全員日本人に思えて仕方ありません。もっと感動したはずなのに、タイミングを逃してしまった…なんだか悔しいです。

実際のライ王のテラスは、二重構造になっていて1番目のレリーフと2番目のレリーフの間が迷路のようになっています。
最初のレリーフが何か崩れたのか上手くいかなかったか、何かの理由で埋めて、さらに外側に2番目のレリーフを作ったようなのです。最初のレリーフはずっと埋まって発見が遅かったため、彫刻が風化しておらず、見応えあります(迷路がちょっと怖いですが)

こちらは外側(2番目のレリーフ)

内側(1番目のレリーフ)は素晴らしいです。

制作途中で終わっている箇所もあります。

Nikeのランアプリも使いました。痕跡マップをみると節操なくあちこちから遺跡を見ています。笑

廻るバイヨン

ライ王のテラスから南下して、バイヨンの周りをぐるっと回ってからアンコールトム を出ました。

バイヨン

(バイヨン寺院、廻りはじめ、背後も同じやうな、林立する観音像をあらはす。…)

三島由紀夫「癩王のテラス」

戯曲内の場面転換では、バイヨン寺院が廻るのです。これを初めて読んだ時に鳥肌が立ちました。あの乳海攪拌(ヒンドゥー教バージョンの天地創造)の3D版がアンコールトムで、四方の門の外からナーガを引っ張りバイヨンを廻すのだと気づいた時に感銘を受けたのですが、実際に戯曲にもその場面が使われているのです。

宮本亜門さんの舞台を観なくては。

えも言われぬ美しさでした。

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