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ディズニーだけではない伝統的な浦安

浦安は三角州の便りなさげな土壌の上に成立した漁村であった。山本周五郎の「青べか日記」の舞台である。明治期に入っても鉄道網に恵まれず、また、戦後も政府が提唱したグリーンベルト構想の範囲内にあったため、工業化することもなく、依然として漁村のままでいた。昭和15年設置の浦安橋設置でも大きく変わることはなかった。舟運は衰亡していても、人々の外部との接点はバスのみであった。
潮目がようやく変わったのが、昭和40年台の東西線開通で、このときに初めて首都圏の一角に加わったといっても良いだろう。東京ディズニーランドの開業も大きいが、京葉線ができるまでは、浦安駅からのシャトルバスがひっきりなしに発着していて、子供心に驚いた記憶がある。ただ、首都圏化されたことは確かであり、今では漁村はない。ただし、漁村であった余韻は濃密に残されている。境川の狭隘部であるおっぺらけの由来などは面白い。行徳や船橋との村同士の争いの歴史が密やかに残されている。
この点、多摩田園都市構想で大きく姿を変えて、元の姿を想像するのが難しい東急田園都市沿線と異なるところであろうか。私は往時の余韻の残るこの街がすっかり気に入った。


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